偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
偉人
運営者
考察
まず、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
の言葉に目を向けてみよう。
孔子は、
と言っていることからもわかるように、『表面的な礼儀、儀式』を認めていない。それは、ブッダもキリストも同じことだ。ブッダは、
『表裏的な人間の罪深さを知れ。』(超訳)
と言っているし、キリストは、
と言っている。言い回しはすべて私の超訳だが、原文を見てもらったら言い回しに大差などないことを知るだろう。『表面的な(心のこもっていない)礼儀など、無意味』なのである。さて、それがわかった上で話を進めると、だがしかし、社交辞令や、あらゆる礼儀作法というものは、まるで『潤滑油』である。かみ合わないに決まっている『異なる歯車』がスムーズにかみ合う為の、潤滑油。そう考えると社交辞令は、あながち無下にし、揶揄するべきものでもない。
これらのことを両方押さえておけば、随分人としての価値が違ってくるだろう。ショーペン・ハウエルの言葉は、この問題に更に奥深くに差し込んだ剣である。『礼儀正しさ』と言っているのだ。『正しい礼儀』なのである。つまりこれなら、上に挙げた世界的賢人たちが戒める『無意味な礼儀』に当てはまらない。だとすると、この話には俄然集中力が高まってくる。
モンテーニュは言った。
なるほど『正しい礼儀』とは奥深く、それでいて高潔である。
関連リンク:ボン・クレー『友達を…見捨てておめぇら明日食うメシがうめぇかよ!!』
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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