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徳川家康『明日はきっと一戦あるなというようなときは、首をよく洗っておけ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人

ふむ…。

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考察

『明日はきっと一戦あるなというようなときは、首をよく洗っておけ。武士たるもの、生きているときは鬼神のように戦い、死しては誉を永遠に残せるよう心掛けよ。』

 

一戦

 

剣道をやればわかるが、もし、仕事をしなくても生きていけるのであれば、私は剣の道をとことん極めようと思い、そこに時間を費やしただろう。しかし、今の世は、剣道をやるのはマイノリティ(少数派)である。何しろあまり、使う機会が少なくなった。昔は道場があちこちにあった。そんな映像を見るといつも思うのが、

 

(この時代と、今の時代、どちらが健全なのだろうか。)

 

ということだ。いや、もちろん刀という武器を使わなくなった今の方が平和だ。だが、平和なら平和なりに、事件や過ちが起こる。だとしたら、心身ともに鍛錬できる武道の入口が、至る所に点在していたのであれば、軟弱で歪んだ心は生まれなかったという思いに耽ることもある。

 

 

新渡戸稲造の著書、『武士道』は、実にそうそうたる人物と照らし合わせその道について追及していて、奥深い。キリストアリストテレスソクラテスプラトン孔子孟子ニーチェエマーソンデカルト織田信長徳川家康豊臣秀吉、枚挙に暇がない。本にはこうある。

『武士道においては、名誉の問題とともにある死は多くの複雑な問題解決の鍵として受け入れられた。大志を抱くサムライにとっては畳の上で死ぬことはむしろふがいない死であり望むべき最後とは思われなかった。

 

『自分の命とは何か?』

 

最近も、こんなことを考えたい為に戦争に参加しようとする人間が出てきた。『いじめられていた』というのだ。そして、人生について、散々悩み続けた。

 

もちろん、死も考えたこともあるだろう。人間は、どちらにせよいずれ死ぬ。だが、だとしたら何のために生まれて来たのか。
命を懸ける戦を通して、人は、そこに何を見るのか。冒頭で書いたように、私は確かに、戦いに生きがいを感じた。それはもちろん、練習試合だったからだ。

 

人はいずれにせよ死ぬ。名誉ある死とは、何だろうか。『死』に名誉などあるのあろうか。かつて、そんなことを考える暇などない時代があった。その時代と、今の時代。正しい時代とは、どちらなのだろうか。一つだけ言えることは、この人生はたった一度だけしかないということだ。

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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