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『戦わずして勝つことは真の極意ではない。戦わずして負けないことこそが真の極意なのだ。』

意味

道教の創案者、老子は言った。

 

『孫子の兵法』の極意を、『戦わずして勝つ』とする人間が後を絶たない。私の大好きな漫画のキャラクターですらそういうセリフを吐いてしまった。だが、えこひいきしたいほど好きなその漫画のことであっても、真理から逸れるのであれば私はそこを否定することになる。

 

もしも孫子の兵法の極意がそんなものなのだとしたら、その価値の正当性は疑わしい。だがその漫画はほとんどの場面で、とても情熱的でエネルギーに満ち溢れている。その漫画のタイトルを言わないことで、私はその漫画に対してせめてもの敬意を払っているつもりだ。

 

『勝つ』と同時に、この世に現れるのは『敗者』だ。その敗者を見下し、高笑いする為に用意された兵法なのであれば、そんなもの、単なる子供のいたずら書きと同じだ。違う。『戦わずして勝つ』のではない。『戦わずして、負けない』なのだ。それが孫子の兵法の極意だ。それならば、私も含めた老若男女、全ての人間が腑に落ちることになる。

 

それに、もし『勝つ』ことが全てなのであれば、次の言葉から感じることをどう説明するつもりだろうか。映画『13人の刺客』で、この真理をついた本物のシーンがある。それはこの物語で、この世に氾濫している『成功』という図式に当てはまるはずの、『金と権力』に溺れて人の道を外した徳川将軍の弟を成敗する為に結成させた、13人の刺客の中心人物、島田新左衛門を、将軍の側近、鬼頭半兵衛が、見えないところで、畏怖と称賛の念を込めて、こう評価するシーンである。

 

『この島田新左衛門という男切れるというわけではない。恐ろしく強いというわけでもない。だが負けぬ。無理に勝ちに行かず、押し込まれてもなかなか動かず、最後には少しの差で勝つ。そういう男だ。』

 

このシーンから感じるのは人間の矜持だ。この男は、勝つために生きているのではない。『負けない』ために生きているのだ。むしろ、勝つことに執着して人間としての矜持を忘れてしまっているのは、徳川将軍の弟の方なのである。勝つことに執着している徳川の弟と、負けないことに徹している島田新左衛門。一体この二人のうち、どちらが人として崇高な生き様を見せていると思うだろうか。

 

だがもちろん、その兵法が生まれた時代にあって『戦わずして勝つ』という言葉は、その時代の人間を奮起させただろう。常に戦が強いられるような時代と、現代の時代とは大きく考え方が違うのだ。必ず戦をしなければならなかった。だから、戦で負けることは『死を意味する』ことと同じだった。そんな状態であれば、『勝つ』ということを常に掲げてしまうのも無理はないだろう。

 

だが、それであっても真理の側から見れば、そんな事情は関係ない。関係ないからこそ、現代で戦が行われることが圧倒的に少なくなっているのだ。戦が真理であれば、現代だろうが未来だろうが、常にそれが行われるはずだ。しかし、そうはならない。だとしたら、考え方を戒める必要があるのは、過去の人間の方だ。

 

そもそもが、人間同士が争ってはならないのだ。それこそがこの世の真理なのだ。勝敗ではない。優劣でもない。人間も含めた全生命が公明正大に扱われること以外は、真理に相応しい内容ではないのだ。

 

戦

 

 

 

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