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スモーカー『勝ってなお 渇くばかりだ!!』

私は18歳の時、武道の真髄は、『合気道』にあると見たと以前書いた。他の武道、格闘技のように、決して自分からは戦いをけしかけない。万が一相手がけしかけてきた場合にのみ対応し、その”力”を利用し、相手を投げ飛ばし、戦いを鎮める。”四聖“の一人である孔子の教えを書にした論語や、孫子の兵法の極意には、『戦わずして勝つ』というものが代表的に浸透しているように見えるが、もっと実質的にその極意を見抜こうと思えば、『戦わずして負けない』という真理が見えてくる。

 

つまり、『勝ちありき』で人生を考える人は、人としてどこか、欠落しているという自負を抱かなければ、自分の器の小ささを露呈してしまうということなのだ。人の優劣を決める、『勝ち負け』など、本当はどうだっていい。どうしてもやらなきゃいけないときだけやればいい。負けないために。『勝つ』と、『負けない』、同じに見えて、意味が違う。

 

『何が違う!!”正義”も”悪”も…!!

勝ってなお 渇くばかりだ!!』

 

なぜ、赤イヌを筆頭とした海軍が、目的を果たしたはずなのに『渇いていた』のか。著名な心理学者、アブラハム・マズローが提唱する、『五段階欲求』を見て分かるように、人間は、人間として段階を上げていくごとに、欲求のレベル、難易度を上げていく。私がいつも言う、

 

5F

  • Fucking(性欲)
  • Feeding(食欲)
  • Flocking(群衆欲)
  • Fighting(征服欲)
  • Freeing(解放欲)

 

はもちろん、一番下の階層、『生存の欲求』である。つまり、この5Fに支配されて生きている人は、人としてまだ初期段階にいるのだ。それから次の階層、『安全の欲求』に安住しようとしている人に、私がいつも引き合いに出すのは、この格言だ。

byヘンリー・ミラー

 

その選択は確かに、元来『賢さ』から来たものだが、ただ生き抜く『モチベーション1.0』の時代はとうに終わり、今、人類のバージョンは『モチベーション3.0』に引き上げられたというのに、これでは考え方が、”古い”。

 

次の『親和の欲求』は、他人と関わりたい、集団への帰属意識だ。ちなみに私が、mixi、twitter、Facebookのアカウントを持っていながら、数年前から『他人にコメントを貰うことを前提とした投稿』をしなくなったのも、『一方的に自分の思うように書き、読みたい人だけ読んでくれればいい』という特性のある、この『ブログ』に特化するようになったのも、これを意識しているからである。私は以前、集団を大切にしている人間だったが、依存はしていなかった。その証拠に私は自らの意志で、安住できる地位があるのに、そこから飛び立った。かつてその集団を、”自発的に”飛びだしたのは、私しかいない。後の人間は皆、何らかの”負い目”を感じて居場所がなくなっただけだ。

 

なぜなら、皆は恐れているからだ。 “孤独”になってしまうのを。 “集団の力を失う”のを。だがその考え方はまだまだ”自分本位”だ。おそらく、次の欲求、『自我の欲求』の力も手伝って、『集団に認められたい』という『罠』にも、ハマっているのだろう。その証拠に、友人たちは口々にこう言った。『いじられて、おいしい。』これについての詳細は、、『いじられるのはおいしくない』に書いた。

 

欲求の力は、甚大である。人として、5段階目、『自己実現の欲求』の階層に居る人は、かなり達観に近づいていると言っていい。精神分析学者フロイトによって提唱された、精神構造を3つに分けた概念として有名な、

 

『イド』

イドは快楽原理に基づいて、本能のままに「今すぐあれがしたい」「これがしたい」という欲求を出して満足を求める。

 

『自我』

このイドの上に存在し、理性的にイドをコントロールするのが自我(エゴ)である。 自我は本能的な欲求を現実にあった形にする役割や、その欲求をかなえるために必要なプランを立てるなどといった準備行動を作り上げる。 例えば、「嫌いな仕事でも家族の生活のためだ」と思い、仕事を続けることは自我の働きによるものである。

 

『超自我』

最後に、超自我(super ego)とは常に道徳的、意識的であろうとする部分である。 子どもは親から叱られたり褒められたりすることで、行動の善し悪しを学ぶ。 幼い頃は親の判断基準に従っているが、成長するにつれ「これをやっては他人に迷惑がかかるからやってはいけない」と自分で判断できるようになる。 この意識が超自我である。

 

だが、段階には更に上がある。それが、ここでいう『超自我』である。5段階目の『自己実現の欲求』では、まだ『超自我』とは言えない。マズロー曰く、優秀な人ほどこの欲求の段階を駆け上がるのは早いが、自己実現を果たし、”自己超越”の域に達する人はきわめて少ない。数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなるような状況に陥ってしまう。

 


参考
自己超越参考サイト

 

人間は、絶え間ない欲望との闘いや自制を繰り返し、人生を生きていく。しかし、この階段を踏み外さないで順調にかけ登れる人は、極めて少ないというのだ。この階段を踏み外すことなく最後の段階である『自己超越』に達した時、それは、フロイトのいう『超自我』の意識レベルにも、達観したと言っていいだろう。

 

ここまで考えれば、赤イヌ達海軍、その他の海賊が、どうなってしまったのかが、よくわかるはずだ。彼らは、自らの掲げる正義を貫くことを一本槍としてしがみついて、無意識に、階段を踏み外したのだ。そこへやってきたのが、『赤髪のシャンクス』。そして、シャンクスの到着の時間を”わずか数秒”だけだが稼いだ、コビーだった。

 

たしぎ、スモーカー、コビーといった連中は、まだまだ未熟だが、『見る目』があり、シャンクスは、既に『自己超越』の域に達していた。だからこそ、暴動に落ちた原因も理解していて、それを、止めることも可能だったのだ。欲求の力は、甚大である。『勝ってなお渇く』。スモーカーがそう疑念した想いの答えは、奥深い。

 

byショウペンハウエル

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。