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考察
ロマン・ロランは言った。
私は最初、どんなに考えてもこの言葉の意味が分からなかった。ヘルマン・ヘッセの今回の言葉と併せて考えたところで、別にそれは同じだ。歴史に残らなかった偉大な人はいたことだろうが、2,000年も前の、その実態がわからない人間に対し『未熟だ』と言ったロマン・ロランは、決して、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らと比べた時、そこまでの影響力がなく、その彼が言う『二流』という言葉は、あまり信憑性が無かった。『誰にものを言っているのだ』と。
しかし、別役実の、
という言葉を見た時、違う観点を得ることが出来たのだ。人間は、生まれた瞬間にエゴイストであり、そうでない配慮ある精子を『出し抜いて』、この世に生を受けた。そう考えた時、ブッダだろうがキリストだろうが、『謙虚な彼らには敵うまい』という発想が、頭をよぎることになるのであり、それを突いているのなら、ロマン・ロランの言葉は傾聴に値する。
それから、これは、今この記事を書いている時に浮かんできた新境地だが、よく見たらロマン・ロランの言葉には『人々がよく知る』とあり、もしこれが『神格化されたブッダ』と『捏造されたキリストの復活伝説』について示唆しているのであれば、ロマン・ロランは、こう言っていることになる。
『あなた方は、なぜ神格化しているのだ。彼らは本当にそう言っていたのか。本当に、自分が神であり、人々よ、崇めよ、と言っていたのか。私はそんな人間は、二流だと思う。そう言わない人間こそが、一流だと思う。』
今のところ私が強く主張できるのは、ブッダの方だけだ。最低でもブッダは、『個人を崇拝するな。答えは自分の中にある。』と言ったり、『本来は、特定の宗教や人への信仰は必要ない。』という内容の話をしていて、無神論者の私の心を動かしたのは、紛れもなく『ブッダの弟子』ではなく、『ブッダ本人』だった。
つまり私の様な懐疑的な本物志向の人間は、宗教や胡散臭さやイカサマが嫌いで、無数にいる弟子たちは、強い信仰心が邪魔をして目が盲目になり、ブッダを神格化させて、仏像を作って拝んでしまっているわけだが、それは、ブッダの教えとはかけ離れてしまっている。
そんな彼らに対する違和感を敏感に察知した私は、『宗教が嫌い』だったわけだが、実は、その大元中の大元、根源である『ブッダ』の言葉に耳を傾けると、何と、こんな私の様な人間が、『傾聴に値する言葉ばかりだ』と心底から思うことが出来たのだ。
キリストについては、今、ハーバード大学神学大学院およびアイオワ大学創作学科小説部門で博士号を取得した、レザー・アスランの著書『イエス・キリストは実在したのか?』を読んでいる途中だ。
書けることは少なく、また、それを読んだ後にでもこの世から敬虔なクリスチャンがいなくなることはなさそうだが、しかし、もしブッダと同じように『人がよく知る』彼もまた、周知の事実とは違う実像を持っていたのであれば、ロマン・ロランの言葉は更に奥が深い言葉となるわけである。
これらの真偽についてはともかく、『名声』というものはそもそも『人間が捻出する概念』であるからして、だとしたらそこに信憑性はない。何しろ、その『人間』自体が、恒久的に未熟なのだ。
真理を見極めた本物の救世主が、『そこにいた愚かな人間の勘違い』、『居心地の良さの追及』によって、殺され、歴史の闇に葬り去られた可能性は、十分あり得るのである。
ソクラテスが後生に知られたのは、プラトンという賢明な弟子の存在が大きかったわけで、彼ら、ソクラテスを慕う者がいなければ、ソクラテスは、ただ『村人を引っ掻き回して、脅威を与え、当然の如く処刑された、ペテン師』か何かのレッテルを貼られていたかもしれない。
孔子とて、今でこそ中国を代表する大学者や聖人とされているが、同時代人の多くからは、出来もしないことをしようとしている、身の程知らずや物好き扱いされていた(憲門第十四-四十)。
そう考えると、『人間の名声』など、あまり参考にならないのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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