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ソクラテス『わたしは法廷に家族を呼び、無罪の投票をするように同情をお願いする。そんなことは絶対しない。』

古代ギリシャ哲学者 ソクラテス画像

内省

もし死刑を逃れられるのであれば、永遠に生きていけるかもしれない。そういう条件だったなら、ソクラテスの態度は変わっていたかもしれない。しかし、そうではないのだ。人は必ず、死ぬのである。

 

それがいつか。そのタイミングは選べるのか。そう考えたとき、我々の『死のタイミング』がどこか、見えてくるのではないか。今日守れた命も、明日簡単に落としてしまうのが人生だ。それを無様に『生きながらえて』どうする。

 

モンテーニュは言った。

 

自分から哀れな姿を見せて生にすがりつき、悲劇のヒーロー、ヒロインを気取って人生に執着する。確かにそれが、人間というものかもしれない。だがそれは本当に『公式』の人生なのだろうか。もしかして、『非公式』なのではないだろうか。

 

『公式』の人生を歩くのは容易ではない。だが、その道を歩くことこそ、この儚く”無意味”な人生に、尊い”意義”を見出そうとする、人間の”意地”なのかもしれない。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

関連する『黄金律

『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』

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