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ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった芸術家たちが『ルネサンス時代』に大活躍できた理由とは

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

  1. ルネサンス時代はいつから?
  2. ダヴィンチやミケランジェロはなぜ芸術活動ができたの?

1.イタリア=ルネサンスの扉を最初に開けたのは、詩人ダンテ(1265年 – 1321年9月14日)だとされています。

2.彼ら芸術家たちには『パトロン(出資者、支援者)』のような存在がいたので、彼らは芸術活動に専念できました。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

キリスト教会の権力によって抑えられていたものを『再生(復興・ルネサンス)』させる。

中世ヨーロッパの1000年間の暗黒時代というのは、哲学というものは大した発展がなく、すべては神の為にあった1000年間で、その時代が『暗黒時代』と呼ばれるようになりました。それは哲学というような思想面だけではなく、全体的に見てもそうでした。キリスト教が腐敗し、権力が低下し始めた14世紀頃、ヨーロッパはその時代の殻を破ろうと『ルネサンス時代』に突入したのです。

 

その扉を最初に開けたのはダンテの『神曲』。地獄篇は、1304年から1308年頃に執筆されました。また、ジョットがサン・フランチェスコ大聖堂に書いた『聖フランチェスコの生涯』も『ルネサンスの萌芽』、つまり先駆けと言われ、初期ルネサンス絵画の中でも最高傑作のひとつといわれています。これら芸術作品を通して、『神中心』から『人間中心』へ人々の価値観が変わり、キリスト教支配時代の終わり、そして新しい時代(ルネサンス時代)の幕開けとなりました。

 

芸術活動には豊富なリソース(資源。物やお金)が必要になります。しかしダヴィンチやミケランジェロといったこの時代に活躍した芸術家には、ローマ教皇などのお金持ちの支援者がいました。中には私財をなげうって芸術家たちを支援し続けた人もいて、彼らの存在があったからこそ彼らは芸術活動に専念できたのです。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

中世ヨーロッパ(暗黒時代)の終焉

ローマ帝国(ポエニ戦争)→カエサル・アウグストゥス時代→ティベリウス時代→五賢帝時代・軍人皇帝時代→ローマ帝国の滅亡→中世ヨーロッパの始まり→東西ローマ分裂→十字軍の遠征→中世ヨーロッパの終結→ルネサンス時代の幕開け

『十字軍問題』や『ボニファティウスの屈辱』でキリスト教会の権威が失墜!『ローマ帝国の継承者』は誰に?

 

上記の記事の続きだ。こうして中世ヨーロッパ時代は幕を閉じることになる。

 

キリスト教会の盛衰

ローマ帝国滅亡後の中世ヨーロッパでは、封建社会の中で権威を高めたキリスト教会が権力を持ち、1000年間もまとめたが、権力を持ちすぎて、腐敗する一面も目立った。そして様々な問題を通して権威を失い続け、最後には権力が国王へと移行していったのであった。

 

ルネサンス時代に突入することでようやく『一強』の牙城が崩れ、新しい哲学的思想が芽生える

 

上記の記事に、宗教面から見たこの時代について書いたが、中世ヨーロッパの1000年間の暗黒時代というのは、大した発展がなく、すべては神の為にあった1000年間だった。そういう事情もあって、その時代が『暗黒時代』と呼ばれるようになるわけだ。

 

暗黒時代
戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代。また、文明全体に及ぶ大きな事象でなくても、特定の芸術・技術・文化などが為政者や宗教組織から弾圧を受け衰退したり、革新者の不在などの理由で停滞した時期を指して、暗黒時代と呼ぶこともある。
中世
古代が終わり、近代にいたるまでの1000年間。ローマ帝国滅亡後の1000年間のこと。

 

ルター等の『宗教改革』や、人々の精神的な動きについてはその記事にまとめたので、今回は14世紀~16世紀にイタリアを中心に花開いた『ルネサンス芸術』について見てみよう。

 

 

ルネサンス時代の幕開け

そもそも『ルネサンス』とは、フランス語で『再生』を意味する言葉で、ギリシャやローマといった古典時代の文化の復興を現している。4世紀以降、キリスト教会は異教の神々を描くことを固く禁じた。そのように、キリスト教会の権力によって抑えられていたものを、この時代に『再生(復興・ルネサンス)』させようという動きが見られたのである。

 

 

エラスムスの人文主義

先ほど、中世ヨーロッパの1000年間の暗黒時代というのは、大した発展がなく、すべては神の為にあった1000年間で、その時代が『暗黒時代』と呼ばれるようになったと書いたが、『人文主義の王』と言われるエラスムス等を筆頭にしながら、『神中心の考えにどっぷりと依存した人間』の思想に、『人間中心』の思想を織り交ぜ、新たな概念を生み出すようになる。

 

[エラスムス]

 

ルネサンス
文芸復興。人間中心のギリシャ文化をよみがえらせる人文主義の流れ。
人文主義
人間中心の文化。ヒューマニズム。

 

様々な思想

ヘブライズム 神中心の発想
ヒューマニズム(人文主義) 人間が歴史と文化の主体
自然主義 人間は自然の一部分

 

  • フランドル地方のエラスムスとブリューゲル
  • イギリスのシェイクスピア
  • ドイツのホルバイン

 

といった人物が『人中心』の考え方をするようになるのも、イタリアで生まれたルネサンスの概念の影響が大きかった。

 

 

『神中心』から『人間中心』へ

例えば、ボッティチェリのヴィーナスを見てみよう。

 

[ヴィーナスの誕生(1485年頃、ウフィツィ美術館)]

 

そして次に見るのは、紀元前2世紀後半に作られた『ミロのヴィーナス』と、

 

 

マザッチオの『楽園追放』にあるアダムとイヴを見てみよう。

 

[『楽園追放』(1426年 – 1427年) サンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂(フィレンツェ) 左が修復前、右が1980年代に行われた修復後の画像で、後年になって付け加えられた股間の葉が除去されている]

 

最後の『股間の葉っぱ』の話は今は関係ない。見るべきなのは、最初の女性は、後の2つの女性のどちらに似ているだろうか、ということである。似ているのは、『ミロのヴィーナス』の方である。最後のイヴは、みすぼらしい女性の姿で描かれているのがわかるはずだ。

 

ミロのヴィーナス 紀元前2世紀後半
楽園追放 1426年-1427年
ヴィーナスの誕生 1485年

 

ボッティチェリが絵を描いた少し前の時代には、この『楽園追放』があったが、女性の描き方としてはその時代ではなく、むしろ紀元前に描かれた女性のイメージに似ているのである。ここからわかるのは、キリスト教会が全世界を支配する以前の世界観が『復興(ルネサンス)』したということだ。『神中心』から『人間中心』へ人々の価値観が変わったのである。

 

 

十字軍の通り道で発展したイタリア

1096年~1272年まで約200年間続いた十字軍の戦いは、『カトリック教会の権威低下』と同時に、意外な恩恵をもたらした。十字軍遠征の時に十字軍の通り道になった場所で、商業が発展したことが関係しているのである。

 

恩恵を受けた地と取引された商物

ヴェネツィア、ジェノヴァ アジアの香辛料、絹
ミラノ、フィレンツェ 手工業、金融
リューベック、ハンブルク 木材、穀物
ブリュージュ(フランドル地方) 毛織物

 

ヴェネツィア、ジェノヴァは、地中海貿易でムスリム商人やビザンツ商人と取引し、莫大な富を得た。また、フィレンツェやミラノは手工業などで発展し、イタリアはヨーロッパのなかで最も都市化の進んだ地域になる。

 

 

ルネサンスの3巨匠

ルネサンスの3巨匠』と言えば以下の3人だが、

 

ルネサンスの3巨匠

 

そのうち、ダヴィンチとミケランジェロは、フィレンツェ出身である。ラファエロも21歳でフィレンツェに向かっているし、ボッティチェリやフラ・アンジェリコもフィレンツェ出身だ。ドナテッロは『15世紀フィレンツェの最高の彫刻家』と言われ、ロレンツィオ・ギベルティはフィレンツェで行われた彫刻コンクールで優勝。フィリッポ・ブルネレスキは、フィレンツェの象徴とも言える大聖堂の赤レンガのドームの天蓋を設計した。フィレンツェがどれだけ芸術家にとって重要な街だったかということがよくわかるはずだ。

 

彼ら芸術家たちはこの『ルネサンス期』に様々な作品を残しているが、中でも、バチカン宮殿にある礼拝堂の、システィーナ礼拝堂は、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。

 

[ラファエロが描いた下絵をもとに制作されたタペストリ。]

 

[三層に別れたシスティーナ礼拝堂の内部壁面。下から、金銀の布を描いたフレスコ画、キリストの生涯を描いたフレスコ画、歴代ローマ教皇の肖像とキリストの祖先たち。]

 

[ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂天井画『アダムの創造』。神が人間を創造し、命を与えるエピソードの象徴となっている、システィーナ礼拝堂のフレスコ画の中でも世界的にもっとも有名な作品である。]

 

[ボッティチェッリとその工房が描いた『モーセの試練』。]

 

 

ダヴィンチの名作

また、レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば、『モナ・リザ』が有名だ。地元の裕福な夫人エリザベッタ・デル・ジョコンダをモデルに描かれた絵で、レオナルドはこの絵を死ぬまで手元に置いていたと言われている。

 

 

更に、それと同じくらい有名なのが『最後の晩餐』だ。死が近づいたことを察知したイエスが、12人の弟子とともに食事をとる聖書の中でも最大のクライマックスと言えるシーンである。これ以前にもこのシーンが描かれたことは多々あったが、レオナルドの作り出したこのイメージが、世界中の人の脳裏に強く刻み付けられているだろう。

 

 

ミケランジェロは、そんなレオナルドよりも20歳も年下で、ライバル心を持っていた。ある時、レオナルドとの共作、フィレンツェ市庁舎の壁画制作の依頼が来ると心を躍らせたが、当時の教皇、ユリウス2世からローマに呼び出され、この仕事は実現しなかった。

 

ミケランジェロのこだわり

彼ら2人の興味深い話がある。ユリウス二世は、『システィーナ礼拝堂』の制作がいつまでも終わらないので、ミケランジェロにこう言った。

 

ユリウス二世

いつ完成するのだ?

 

するとミケランジェロは言った。

 

私もクリエイターのはしくれだが、彼の気持ちが身に染みてよくわかるのである。だからこのサイトが終わるのはいつか、完成するのはいつかということについて問われたとき、彼と同じこのセリフを言うことにしているのだ。

 

 

ラファエロと「アテナイの学堂」

また、ラファエロと言えば以下の作品である。そんなミケランジェロよりも8歳年下だった彼も、ユリウス2世に呼ばれてローマにやってきていた。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画制作を1508年から始めていたが、ラファエロもその時ローマにやってきていて、ヴァチカンの『署名の間』の天井画と壁画制作の依頼を受けたのだ。

 

MEMO
1509年の終わりに、ラファエロは「聖体の論議」の向かい側の壁に次の絵を描き始めた。これは「アテナイの学堂」と名付けられ、この部屋の隣のユリウス2世の書庫が、学問の部屋としての位置づけを持っていたことから、哲学的な理性によって真実を探ることが主題となっている。ラファエロの作品中、もっとも広く知られているものであろう。wikipedia

 

この『アテネの学堂』では、

 

  • レオナルド=プラトン
  • ミケランジェロ=ヘラクレイトス

 

に見立てて描いていて、遊び心が盛り込まれている。一番真ん中の左にいる髭の長髪が、レオナルドに見立てたプラトン、その右がアリストテレスである。

 

 

ルネサンス時代を支えた重要人物

またこの時代、そのユリウス2世の話をイメージすると見えてくるように、彼ら芸術家たちには『パトロン(出資者、支援者)』のような存在がいた。

 

芸術家たちのパトロン(出資者、支援者)

  • アレキサンデル6世
  • コジモ・デ・メディチ
  • ユリウス2世
  • レオ10世
  • ロレンツィオ・デ・メディチ
  • ルドヴィーコ・スフォルツァ
  • イザベッラ・デステ
  • クレメンス7世

 

こういった存在のおかげで、彼ら芸術家たちは偉大な花を咲かせることができたのである。例えばコジモ・デ・メディチは、父から受け就いた銀行を発展させ、フィレンツェの街に貢献した。また、私財をなげうって芸術家たちを支援し続けた。ユリウス2世は世俗的教皇の一人で、多くの偉大な芸術家たちをバックアップした。

 

[ラファエロによる肖像画 ユリウス2世]

 

ルネサンスの最盛期

ルネサンスというのは時代的に『14世紀~16世紀』と曖昧に言われるが、先ほどの女性のイメージを見てわかるように『1427年はまだ違っていて、1485年にはすでにルネサンス時代である』ということがわかる。東方貿易と毛織物業、金融業で栄えたフィレンツェのメディチ家が、1453年にオスマン帝国に滅ぼされたビザンツ帝国の亡命学者を保護し、一族から教皇を出すほど権威をふるい、そこからレオナルドのような逸材が現れ始めたことを考えると、最盛期はこのあたりか。

 

 

ルネサンスの萌芽

だが、『ルネサンスの萌芽』、つまり先駆けと言われるのは1266年に生まれたジョットがサン・フランチェスコ大聖堂に書いた『聖フランチェスコの生涯』だと言われている。ジョットの代表作は1305年に完成したパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の装飾画である。この一連のフレスコ壁画は聖母マリアとイエス・キリストの生涯を描いたもので、初期ルネサンス絵画の中でも最高傑作のひとつといわれている。

 

[『最後の審判』に描かれたエンリコ・デッリ・スクロヴェーニの肖像画]

 

また、いくつかの参考書にはイタリア=ルネサンスの扉を最初に開けたのは、詩人ダンテ(1265年 – 1321年9月14日)だとある。彼の『神曲』には、神が登場するが、日常会話で使う言葉を話していて、それで登場人物の人間性が増したという。1300年代の詩人のボッカチオにも見られたが、このような舞台でも徐々に『神中心』から『人中心』の考え方に移行していくようになっていった。『神曲』地獄篇は、1304年から1308年頃に執筆されたと考えられているので、ジョットの時期とほぼ同じだ。

 

ジョットもダンテもほぼ同い年だが、そう考えるとやはりルネサンス時代というのはちょうどこのあたりから始まり『14世紀~16世紀』の間に栄えた。この時代は、抑圧から解き放たれた創造力溢れる人々が、まるで堰が外れたダムの水の勢いかのごとく、そのエネルギーをいかんなく芸術にぶつけた時代だったのである。

 

ルネサンスにいたその他の逸材

 

モンテーニュとマキャベリは疑った。だが、二人の政治思想は対極的だった 啓蒙主義時代に突入させた重要人物『コロンブス、コペルニクス、マゼラン、ガリレオ』

 

 

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