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マルクスの思想を受け継いだのは誰だ!?『レーニン、スターリン、トロツキー』そしてプルードンという男の存在

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

  1. プルードンは何をした人?
  2. レーニンは何をした人?

1.権力者を憎んだ人です。格差がなく、政府もなく、平等な社会を望みましたが、『暴力』を正当化しました。

2.史上初の社会主義国家であるソビエト連邦の初代指導者を務めた人物です。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

マルクスの考え方はとても強烈でした。

そしてこの考え方を実際に実行に移して実験した『ソ連』は、成功すれば世界に誇る理想の国家となったかもしれませんが、それを実現するのは難しく、スムーズにはいきませんでした。『マルクス哲学=社会主義の主張』、『プルードン哲学=暴力革命を辞さない』。ソ連の初代指導者を務めたレーニンは、マルクスとプルードンの考え方を採用して国を作ろうとしました。そしてその思想は同じソ連の政治家、かつマルクス主義の思想家スターリンに受け継がれますが、70年かけて実験した結果、『失敗』してしまったのが現実です。ソ連はスターリンが死去した後徐々に力を失い、1991年に崩壊しました。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

政府無き世界

哲学史上、現実に最も大きな影響を与えた男、カール・マルクス登場

 

上記の記事の続きだ。カール・マルクスが共産主義、社会主義社会を主張し、ロシア(ソ連)のウラジーミル・レーニンが、資本主義社会すら未熟な段階でこのマルクスの考え方を実験した。マルクスはドイツやイギリス等の資本主義国家をモデルにして主張したのだが、ソ連のレーニンがそれをやってしまったのだ。

 

 

暴力を正当化したプルードン

だが、その話の前に考えるべき哲学者がいる。P・J・プルードンである。

 

[ピエール・ジョゼフ・プルードン]

 

各人の誕生年

ルソー 1712年
トマス・ペイン 1737年
ゴドウィン 1756年
マルクス 1818年
プルードン 1809年

 

下記の記事に『無政府主義の先駆者』であるウィリアム・ゴドウィンの話は書いたが、『無政府主義者』と最初に名乗ったのはこのプルードンである。そのため、プルードンはフランスの社会主義者、無政府主義者。『無政府主義の父』と言われる。

 

無政府主義の先駆者『ウィリアム・ゴドウィン』と『孔子』と『私』。

 

ゴドウィンは、『政府なき世界』を求め、『みんなが自律的に動く共同体で法も官僚主義も必要ない社会』を目指したが、プルードンは彼ほど穏やかではなかった。その理由の一つは、彼が幼少期に強いられた経験が影響しているだろう。

 

STEP.1
貧農の子に生まれる
STEP.2
搾取される農民に同情する
STEP.3
著書『財産とは何か』を出版
『財産は盗品である』という名言を残す。

 

つまりプルードンは、貧しく生まれ、その上に君臨して蹂躙する、権力者を憎んだ。したがって、マルクスやゴドウィンのように格差がなく、政府もなく、平等な社会を望んだのだが、彼らと違ってプルードンは暴力を正当化したのだ。

 

 

彼の言葉が言う通り、人は財産に支配されて生きている。それが原因となって専制政治は勢いを増す。

 

専制政治
支配者が独断で思いのままに事を決する政治。

 

マキャベリ韓非子ナポレオンも、人々の弱い一面を直視したが、彼もまた、人の弱き心を直視し、そこから生まれる腐敗を広げてはならないと考えたのだろう。

 

韓非子

民衆が思慮深く考えられるわけがないだろう。できたとしても常にはできない。
民衆(ポポロ)というのはそういうものだ。表面上の利益に幻惑されて、自分たちの破滅につながることさえ、望むんだからな。

マキャベリ

ナポレオン

全くその通りだ。人間を動かす二つのてこは、恐怖と利益である。

 

モンテーニュとマキャベリは疑った。だが、二人の政治思想は対極的だった

 

 

社会主義国家『ソ連』

ここでいよいよレーニンが登場する。

 

[ウラジーミル・レーニン]

 

各人の誕生年

ゴドウィン 1756年
マルクス 1818年
プルードン 1809年
レーニン 1870年

 

十月革命を成功させ、革命政府の人民委員会議議長として史上初の社会主義国家であるソビエト連邦の初代指導者を務めた人物である。レーニンは、マルクスとプルードンの哲学を受け継ぎ、それを実践したのだ。

 

マルクス哲学 社会主義の主張
プルードン哲学 暴力革命を辞さない

 

 

レーニン

政治意識とは搾取への憤怒と憎悪の意識を超えるものだ。政治意識は過激で急進的な行動の能力を要求する。行動せよ!

 

つまりプルードンのように、牛耳られたままで黙っていないで行動するべきだ、と主張したのである。ただし、レーニンは1924年に死去している。これは、意見の対立で敵対したスターリンの仕業だと噂されているが、公式には脳梗塞ということになっている。

 

[1922年、スターリンと]

 

スターリンとトロツキー

そして、レーニンの後継者候補は、

 

  1. スターリン
  2. トロツキー

 

になった。

 

スターリン 1878年

トロツキー 1879年

 

彼らはほぼ同世代であり、同じソ連の政治家、かつマルクス主義の思想家であった。しかし、どちらかというと正当な後継者はトロツキーの方だった。だが、それを狡猾に潰したのが、『暴君スターリン』である。彼に目をつけられたトロツキーはメキシコに亡命するが、結局1940年に暗殺されることになる。

 

トロツキーは言った。

 

私は彼の名言を内省したときに『意味が分からない』と書いたが、実際には彼こそがスターリンの代わりにソ連のトップに立つべき存在だったのかもしれない。第二次世界大戦後、トロツキーは東ヨーロッパのマルクス主義者に大人気を博した。そしてスターリンは、ソ連の近代化を成し遂げ、アメリカに匹敵する大国の地位を築いた功績が称えられる一方、「大粛清」とも呼ばれる反対者の処刑や追放、さらに言論や表現の弾圧といった負の面でも広く知られるようになる。

 

 

 

 

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