『ヒト』を最適化しよう。

ドストエフスキー『人生において何よりも難しいことは、嘘をつかずに生きることだ。そして自分自身の嘘を信じないことだ。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

自分に嘘をつくのは簡単だ。とても容易である。赤ん坊時代に、もうこれらをマスターしている。それが人間の実態である。その時代は、『親に怒られたくない』とか、『大好きなアニメが観たいから』とか、そういう単純な理由だ。しかしその赤子時代で学習しないで、大人になっても引きずる人間は、意外にも多いのである。

 

イギリスの作家、エドワード.F.ベンソンは言った。

 

『立ち向かう』ということだ。それは、自分の弱い心に、欲を求める強い衝動に。それが『嘘をつかない』ということだ。当然、衝動に突き動かされるまま生きるということは、自分に正直に生きることにはならない。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

エドワード・F・ベンソンとトルストイが『難しい』と口を揃えるのは、この『聖性と魔性の戦い』における、難易度のことである。私の部下にも、その闘いを意識して始めて、もうすぐ7年目を迎えようとする人間がいる。もちろん、その闘いは、私も含めた全ての人間が何人たりとも例外なく行うものだが、ことこの部下の場合で言うと、それを意識し始めたのが7年前ということ。そして、あろうことか、未だに『魔性が優位で聖性が劣位』という状況に陥ることが、常である。

 

彼は自分の気持ちに嘘をつき、6年前、こう言ったことがあった。

 

僕は、一生現実逃避をして生きていきます

 

私は自分の部下、つまり指導の対象者である人間が、そう言い放ったその空間を忘れることはないだろう。時空が捻じ曲がるというのは、ああいうことだ。その発言をする意味も、それから始まろうとする指導の道の過酷さも、全てがあまりにも異常なものであることを示唆していて、衝撃的だったのである。

 

『魔性を優位』にした方が、『楽』に決まっているだろう。眠い時に寝て、異性を見たら興奮し、腹が減ったら寝て、まずいと思ったら隠蔽し、誤魔化す。しかし、こういう人間が蓄積できるのは、『信頼 』ではなく『借金』だ。

 

私は、その全てを諭して粘り強く教え続け、時には相手の頭をかち割るつもりで、木刀を振り上げたこともあるし、別に、必要であれば今後も間違いなくそれを行うつもりだが、そんな強度の指導が7年も続いたことも手伝って、今では、そんな発言をしたことを悔いているが、しかし実際にはほとんど大きな成長は見られないままだ。

 

自分につく嘘は、まるで『ドーピング(麻薬)』である。麻痺させ、自分が直面している試練から少しでも『楽』をしようとする、人間の弱き心の反映だ。だから私は、ここで出ている偉人の言葉の重みをよく理解している。そして同時に、(だからどうしたんだよ)という、闇をも凌駕する圧倒的な光を手にして、今日も明日も、そこに挑んで道を切り開く覚悟を燃やすのである。

 

ナポレオンは言った。

 

 

MEMO
※この文章は全て運営者独自の『名言を通した見解』です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
運営者 一瀬雄治(Yuji ichise.)の半生

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