偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
ふむ…。
運営者
考察
『厖大(膨大)』と読む。
つまり、デカルトは、
とも言っていることからもわかるように、
- 『知識=本』
という発想をしていないのだ。つまり、
- 『本=知識』
と考えている。それは、道教の創案者の一人、老子が、
と言っているのと同じだ。知者というのは、=学者ではない。それだけが知者ではないからだ。そして、学者というのも、=知者ではない。もちろん中にはそれに該当する人もいるが、そうでない人もいる。つまり、『=』にはならないのである。そう考えた時、
- 『知識=本』
ではないという図式は、想像にた易い。
本は単なる、本である。ソクラテスは言った。
本を『援用』し、『悪用』してしまう人もいるわけで、そこまで考えると、『本=知識』という図式以上にはならないことがわかってくる。そんな中、『良き書物』とか、『世間という膨大な書物』ということは、=前述した包括的な視野を養える、最高の教材ということになる。
MEMO
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
Check
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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