『ヒト』を最適化しよう。

サン・テグジュペリ『事件の渦中に入ってしまうと、人間はもはやそれを怖れはしない。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

これを『はじめの一歩の前にある壁』についての説明だと捉えることもできる。一歩踏み込んでしまえば、振り返った時にそこに壁はなく、実は自分で勝手に創り上げていた幻想だった、という話だ。そう想像することもできる。

 

マイケル・ジョーダンは言った。

 

彼が言うように、そもそもそこには『壁』など存在していないのだ。だが、こうも考えることができる。デンマークの童話作家、アンデルセンの言葉、

 

この記事に書いた考え方である。

 

ある、誰もが知るカルト教団の教祖の娘の話だ。彼女の父親はとんでもないことをやった。だが、娘である彼女はよく知らない。娘から見たら、気が付いたら自分の父親は、そういう人間であった。周囲の人から信頼もされていたし、自分から見ても、いい父親である印象も多かった。だが、彼女の父親は、とんでもないことをやった教団の、教祖だったのだ。彼女に罪はあるのだろうか。彼女は加害者?それとも被害者?なるほど。サン・テグジュペリの今回の言葉は、ある種の『麻痺』の話である。

 

麻痺

 

マフィアの世界を描く映画では、自分たちの仲間を『ファミリー』だと言って命がけで守るが、その為には相手の命を奪うことがある。その場合、誰の視点からその物語を見るかで印象が変わり、どの視点から見ても、往々にして『自分たちの視点』が正当化されていて、相手に回っている人間が間違いだと定められている。こうしたある種の麻痺が、人間にはある。だから客観的かつ俯瞰的に自分のことを考えることができる人間が希少であり、貴重だ。例えば、『四聖』に数えられる、

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

孔子は、今でこそ中国を代表する大学者や聖人とされているが、同時代人の多くからは、出来もしないことをしようとしている身の程知らずや物好き扱いされていた(憲門第十四-四十)。ソクラテスとキリストは、無実の罪なのに冤罪を着せられ処刑されている。ブッダも、バラモン教(現ヒンズー教)のカースト制度を否定したことで、バラモン教司祭の強い反感を買い、嫌がらせをされていたのである。彼らは皆、希少であり、貴重な人間だった。

 

  • 孔子=そこに広がっている常識をより優れたものに更新
  • ソクラテス=無知な人に無知であることを気づかせるために問答をする
  • ブッダ=バラモン教の教えを否定し、新たな教えを広める
  • キリスト=ユダヤ教の教えを更新し、新たな教えを広める

 

まさにこれは、客観的かつ俯瞰的に自分のことを考えることができる人間にしか、できないことなのである。ほとんどの人は『右へ倣え』で、大勢の意見に従って生きているだけだ。それを打ち破り、主体的に物事を考えることができる人間とは稀である。

 

エマーソンは言った。

Pythagoras was misunderstood, and Socrates and Jesus, and Luther, and Copernicus, and Galileo, and Newton, and every pure and wise spirit that ever took flesh. To be great is to be misunderstood….

(誤解されるのはそんなに悪いことだろうか。ピタゴラスは誤解された。 ソクラテスイエスルターコペルニクスガリレオ、 そして、ニュートンも誤解された。古今のあらゆる清純で賢明な魂も誤解を受けた。 偉大であるということは誤解されるということだ。)

 

誤解された人は、『大勢の人の意見に逆らった』からそうなったのだ。しかしそれができるのは希少であり、偉大なのだ。ここからわかるのは、それだけこの『人間の麻痺』の力というものは甚大なものであるということだ。しかし、それを踏まえた上で見るべきなのは以下の黄金律である。

 

『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』

 

結局は『大勢の意見』など、取るに足らないものである。

 

 

MEMO
※この文章は全て運営者独自の『名言を通した見解』です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
運営者 一瀬雄治(Yuji ichise.)の半生

関連する黄金律

『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』 『人間が戦うべき相手は外にはいない。『内』にいるのだ。』

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