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クラウゼウィッツ『恐怖感を持つ人間は、善いことよりも悪いことを信じやすく、悪いことは誇大に考えやすい。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

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考察

藤木と山田。

 

ここに書いた『藤木』が、クラウゼヴィッツの言葉が指し示す人間である。『山田』は違う。その逆で、善いことを誇大に考える人間だ。

 

ネガティブブラックホール&ポジティブビッグバンという言葉を創った。まさに、その言葉その通りである。これに関しての根本はなんだ。悲観的だ。なぜ悲観的になったのだ。そういう過去があったからだ。だが、なぜそれを引きずっているのだ。そういう経験は皆にもあるのではないのか。あるいは、もっと劣悪な環境を強いられる者もいるのではないのか。そこまで考えたらもう答えは出ている。今すぐその悲観視をやめるべきだ。それ以上醜態をさらしたくなければ。ここまで言われればプライドは煽られるだろう。我々はたった一度の人生を生きているのだ。

 

『恐怖感を持つ人間は、善いことよりも悪いことを信じやすく、悪いことは誇大に考えやすい。』

 

例えば宗教はどうだ。

 

マルクスはこう言い、

 

フロイトは言った。

 

なぜ彼らは宗教に対して、こういう言い回しをするのだろうか。私はの両親と祖母と妹はクリスチャンだ。つまり、私以外の家族はほぼクリスチャンという家庭で育った私は、こういう問題に対し、人一倍敏感になった。一時は親ごと宗教を呪い殺そうと思ったし、今は『四聖』に数えられる、

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

世の偉人たちと向き合い、その教えに真正面から向き合うことが出来ている。

偉人

 

30年間以上目の前で『クリスチャン』を語る人間を見てきて私は、マルクスやフロイトの意見に賛同する。私の親が通うその集会でトップを務めるのはドイツ人だが、彼は昔、ヒトラーを信じていて、しかし戦争に巻き込まれ、周りにいる子供が命を落とし、自分だけ生きながらえたことに、運命を感じたという。

 

(何か目的があって生かされたのだ…)

 

そう思った彼は、日本に来て、宣教師のような立場で、キリストの愛を多くの人に教えた。彼のことは私も知っている、先日亡くなるまで彼のことは一度も悪い人間だと思ったことはない。しかし私は、彼が教会で言った、

 

寝てもいいから来てください。イエスの愛は、慰めです。

 

という言葉に、心を打たれるような人間ではなかった。イエスが嫌いなわけではない。嫌いなら上に載せたように彼の言葉を内省するようなことはないだろう。彼の教えはとても崇高である。だが、『クリスチャン』はどうか。

 

クリスチャン

 

マザー・テレサは言った。

 

そういうことなのである。私は、『寝る』なら家で寝る。教会へ行き話を聞くなら、イエスが直接伝える話よりも、為になる話を聞く。そして私には慰めはいらない。いるのは戒めだ。そもそも、キリスト教徒イスラム教の親にあたるユダヤ教の最初は、『モーセの十戒』である。だとしたらその十戒の文字通り、そこにあるのは『戒め』なのである。

 

『恐怖感を持つ人間は、善いことよりも悪いことを信じやすく、悪いことは誇大に考えやすい。』

 

マルクスやフロイトはなぜ、宗教に関してそういう言い回しをしたのだろうか。私は30年目の前でクリスチャンを語る人間を見てきているからよく知っている。彼らはとても、怖がっている。そして、天国に夢見ている、ロマンチストである。だからこそ『腑に落ちる』のだ。その宗教にある『命の結末のストーリー』が。しかし、人間の心は繊細だ。それが逆に、人間に人間らしさを与えて、人生に彩を与える。それは間違いないことだ。そう考えると宗教とは、その複雑で繊細な人間の心を常にメンテナンスする、潤滑油やセキュリティソフトのようなものなのかもしれない。

 

セキュリティソフト

 

それがなければたちまち動きは鈍くなり、あるいはウイルスに侵されて機能しなくなってしまう。だとしたらそれを否定的に見ることはできない。誰もセキュリティソフトを導入することを悪くは思わないだろう。仕方ないと思う。人間とは愚かである。そして同時に、どこまでも愛すべき存在だ。

 

 

MEMO
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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