偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
『昨日のテレビ番組』の話だったら、もう何の躊躇もせず話が出来るだろう。しかし、重要度、深刻度が増すほど、軽はずみに話をすることは出来ない。例えば、宗教、神、死後、運命、使命、宿命、差別、戦争、これらのテーマについて軽はずみに話すことをしたらどうなるか、皆、わかっているからだ。
ドイツの小説家、ジャン・パウルは言う。
ジャン・パウル曰く、『人生をパラパラとめくる人』が、ここでオスカー・ワイルドが言う『真面目にその話をすることが出来ない人』のことだ。『愚か者』っていうか、別に、『知っている』。この人生がたった一度だということは、別に知っている。しかし、だからこそあえて、パラパラとめくっている。なぜならその方が、『人生に支配されないで済む』からだ。死を考えなくて済む。死について悩み、憂い、恐れないで済む。恐いのだ。悲しいのだ。だからパラパラとめくり、まるでこの毎日が一生続くものだと思って、悩みのない、能天気な人生を演じてみせるのだ。
だが、スウェーデンの諺に、こういう言葉がある。
本当にこの人生が『あまりにも重要なもの』だと思っているなら、取るべき選択肢は『パラパラとめくる』ことではない。『一枚一枚、念入りにめくる』ことだ。パラパラとめくることが実は『人生に支配されている』のだと知った時、人は本当の人生を生きる、決意をするのだ。
ルソーは言う。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』