Index

森信三『たびたび申すことながら諸君!!この人生は二度とないのです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

こういう言葉を言った人間がいる。

『母さん。もし自分の人生が二度あるんだったら、母さんの言う通りに生きます。でも、この人生は一度しかないんです。』

 

その通りだ。『母さん』の言うことも、『父さん』の言うことも、聞く必要はない。もし、それらの言うことを聞く必要がある、と考える人がいるならば、それは『恵まれた人』だということだ。世の中には、『母さん、父さん』に、虐待され、嫌がらせをされ、足を引っ張られた人間が山ほどいる。そんな人たちに『親の言うことを聞け』などと一辺倒に言う人間は、あまり『人間』というものを理解していない。

 

 

例えば私は、両親にクリスチャンであることを強要された時間は、29年間だ。ひどかったのは15、6年間。そして残りの14年間は、『願われて』いた。食事をするとサッと隣について、辛気臭い雰囲気を作り出し、祈りを始めたのだ。それは私への『あてつけ』であり、親からすれば、それは『愛情』だった。29歳の時、実家に帰ったこともあり、ついに決着をつけようと思って、真正面から話をしたのだ。

 

四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

彼らの圧倒的な教えと、多様性の存在、そして真理の探究についてを軸にしながら、キリスト教だけが正しい答えであるかのように説く親に、それらの事実について、淡々と説いて諭した。最初は、それはそれはいわれのない悪口を言ってきて、自己防衛した。

 

女性

真理の探究をする自分が、正しいと思ってるの?

 

という発言をし、およそその立居振舞は『クリスチャン』と呼べる人間ではなかったのだ。私が29年間母親を論破しなかった理由はいくつかある。その一つは、親が信仰によって支えられて生きているという事実についてだ。私がもし、圧倒的な論理でクリスチャンの存在の正当性を薄めてしまったら、もしかしたら母親は、死んでしまうんじゃないか。

 

かつて、

 

俺の為に(信仰を)やめろよ!

男性

 

と言った時、

 

…私はやめられない。

 

と言ったことが頭に焼き付いていた。母親は、私との親子関係の改善よりも、自分の信仰を取ったのだ。そして私が非行に走ると、それもそのまま私の責任だと強く揶揄して非難した。それほどまでに依存している信仰。それを私が論破して打ち砕くということが、どういうことになるか。私はひっそりと、それだけの時間、こらえて来たのだ。そこには、私からの親に対するささやかな愛情があった。

 

私は上に挙げたように、きちんと『キリストの正当性』も高く評価したことで、論破の際、母親はそこまで打ち砕かれることはなかった。そしてこう言ったのだ。

 

確かにクリスチャンは、自分たちだけが正しいと思う傾向があると思う。

 

…一体、サラッと言ったこの発言を言うまでに、どれだけの時間がかかり、どれだけのドラマがあったことだろうか。

 

今、私と母親は、我が家史上で最も関係が良好になっている。それは、母親が私にクリスチャンになることを『表層では』強要しなくなったからだ。我々は、たった一度の人生を生きているのだ。『~のため』という詭弁は今すぐにやめるべきだ。それは、『~のため』にならない。そして、自分の為にもならないのだ。たった一度のこの人生を、無駄にしてはならない。

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

🧭『38の黄金律』へ

※『38の黄金律』は、有料コンテンツとしてより深い考察をお届けしています。

 

🔎 名言の背景にある“思想の源流”を探る

※『黄金律』以外の知的コンテンツのほとんどは無料です。

関連する『黄金律

『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』

『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』

『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』

『「生きる」ということの本当の意味とは。』

同じ人物の名言一覧

森信三の名言・格言一覧