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徳川家康『大将というものはな、家臣から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものよ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人

ふむ…。

運営者

考察

敬われているようで、落ち度を探されていて、恐れられているようで、侮られていて、親しまれているようで、疎んじられていて、好かれている様で、憎まれている。そういう人間が大将である、と考える人間は、家康だけではない。しかしそれは、現代においての人間関係では必ずしもそうではない。私もその様な人間関係になることは、最初から良しとしていない。そういう人間関係を構築してまで、無理がある中、無理矢理に組織のトップを務めるつもりはない。

 

だからもし、私の会社で上に挙げられるような感情を持つ部下がいたなら、『その勘違い』を全て矯正するまで、正社員としては認めない。事実、現在の部下は当初、私を尊敬し、怖い先輩として恐れ、そして親しみ、好いているからこそ当社に入ったわけだが、確かに家康の言う通り、最初は表裏的な感情があった。

 

だが、私は断固として許さなかった。

 

『それが人間関係の最終到達地点だと思うなよ』

 

という気概でもって、最高の人間関係の構築を目指し、何年も部下を教育して来たのだ。従って、現在の我々の人間関係は、冒頭に挙げるような軽薄なものではない。だが、家康という人間の規模で考えた場合、私のそれとは規模の桁が違うわけだ。

 

松下幸之助もこう言ったが、

 

規模が大きくなればなるほど、小規模における発想は通用しないこともある。しかし、それはそれで稲盛和夫の『アメーバ経営』の様な発想もあるわけで、完全なるトップダウンではなく、ボトムアップ式の発想を取り入れることで、そこにある問題への解決策にもなるはずである。どちらにせよ考えたいのは、規模が大きい組織ほど、その運営は一筋縄ではいかないということ。また、『だとしたら規模が大きい理由はあるのか』という事実についてである。

 

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※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

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こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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