『ヒト』を最適化しよう。(リニューアル中です…。)

アインシュタインは手塚治虫と宮崎駿を言いくるめることが出来るか?

アインシュタインは言った。

 

アインシュタインは、核連鎖反応も、マッチの発明も、別に『人類の滅亡』を目的として発明されたわけではないので、その発見自体に罪はないという発言をした。この核連鎖反応を見つけたのは、人間の『探求心』と『好奇心』だ。アインシュタインの言うように、確かにそれを発見しただけでは人類は滅亡しない。しかし、それを扱う人間が恒久的に未熟である以上、探求心と好奇心は人類の滅亡を呼び起こす。『原爆の父』と言われたオッペンハイマーは、日本に原爆が使われてしまったことを悔いた。彼もそういう結果になるとは思わなかったのである。

 

ここで確認したいのは、下記の記事に書いた『空飛ぶ機会』である。

 

サルトル『我々はつねに自分自身に問わなければならない。もしみんながそうしたら、どんなことになるだろうと。』

 

これは、あの『妖怪ウォッチ』を世に出したゲーム会社がスタジオジブリと協力して作った『二ノ国 白き聖灰の女王』というゲームの説明書に書かれている小話である。この話はとても深遠である。熟読される可能性が低いゲームの説明書の片隅に何気なく書かれているこの話には、スタジオジブリが世に訴える真髄とも言える、エッセンスが込められている。忘れようと思っても、忘れられない。

 

 

話を要約しよう。まず、魔法を使う国『二ノ国』が存在する。そしてもう一つが我々の世界に近い『一ノ国』だ。男は『二ノ国』に住んでいて、『一ノ国』から空を飛ぶ技術を持ち帰ろうとしていた。

 

STEP.1
空を飛ぶことを夢見る男がいた
STEP.2
『一ノ国』から機械で空を飛ぶ技術を得る
STEP.3
しかし賢者はその技術を捨てるよう命じる
『誤った人間が使えば、機械は誤った存在となる。』
STEP.4
男は自分の正当性を主張する
『私は一の国の事情とも通じております。あの世界の者たちは、機械をはじめとした科学という学問を、神聖なものと考えております。鉄と鉄の金属を混ぜ合わせて、もっとかたい金属を作れば、石だらけの土地でも耕せる。そうやって人々の暮らしが豊かになっていくのです。』
STEP.5
賢者は更に男を諭す
『では聞くが、その科学の力を金儲けの道具にしか考えない者はおらぬか?民を支配するためにそれを利用しようという者が本当におらぬと言えるか?』
STEP.6
男はあきらめなかった
魔法の力を動力にした、機械を作ればいい。
STEP.7
男はついに空を飛んでしまった
この空飛ぶ機会は、二ノ国の世界に、どんな影響を与えるのでしょう。美しい景色に心を奪われてしまっている男には、到底分りません。その答えは、誰にもわからないのです。

 

男は単に、空を飛びたいだけだった。ただそれだけだった。しかし賢者は、『その好奇心が仇となり、思わぬ落とし穴に落ちる』と注意した。しかし結局男は好奇心と探究心を抑えることができなかった。

 

自分にあるのは純粋な好奇心だけだ

 

という自負があり、そこに罪悪感はなかった。まるで、アインシュタインそのものである。アインシュタインも、核連鎖反応も、マッチの発明も、別に『人類の滅亡』を目的として発明されたわけではないので、その発見自体に罪はないという発言をした。

 

しかし男は知らない。その『空飛ぶ機会』の発明の延長線上に、『戦闘機』や『爆撃機』が存在するということを。アインシュタインは知らない。『核連鎖反応』の発見の延長線上に、『核爆弾』や『原子力発電』が存在するということを。

 

 

宮崎駿が世に出るきっかけとなった名作映画『風の谷のナウシカ』は、地球環境の保全に取り組む民間の団体『WWF』からも推薦された作品。そのWWFホームページに書かれている『エコロジカルフットプリント』とは、『人間が地球を踏みつけた足跡』。人間がどれだけ地球の資源を使ってしまったか、浪費してしまったかを表す言葉である。

 

 

ナウシカ第1話の冒頭にはこある。

ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った。大地の富をうばいとり大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は1000年後に絶頂期に達しやがて急激な衰退をむかえることになった。「火の7日間」と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ地表のほとんどは不毛の地と化したのである。その後産業文明は再建されることなく永いたそがれの時代を人類は生きることになった。

 

宮崎駿は言った。

 

ナウシカのストーリーとこの言葉を考えれば、あの話に彼のエッセンスが盛り込まれていることは自明の理である。

 

彼と同じ目線を持っていた人間がいる。それが、手塚治虫である。彼は言った。

 

好奇心と探究心がなければ、マッチの発明もなければ、紙を作ることも、インターネットもこの世に存在していない。探究心があり、上昇志向があるからこそコペルニクスガリレオが天動説が間違いだと気づき、ニュートンが万有引力の法則に気づき、アインシュタインが相対性理論を見出し、コロンブスが新大陸を発見し、マゼランが船による世界一周計画でこの地球が大部分が水に覆われた球体であることが証明し、リンカーンキング牧師らが人の間に差別がないように奮闘し、ガーシュインは世界的作曲家となった。

 

この虚無たる世界を彩るために、映画、漫画、音楽等の様々な作品を生み出すクリエーターたち。自らの限界に挑んで挑み続けるアスリートたち。彼ら、彼女らの生きざまを見て生きる勇気や大きな感動をもらえるのは、彼らに好奇心と探究心、そして上昇志向があるからである。

 

 

アインシュタインは、発見をすることに罪はなく、それを『悪用』する人に罪があると言うわけだが、人間というものは元来、欲望の塊である。言うなれば、その好奇心と探究心も欲望の一つである。その欲望を持ったすべての人間が、もれなく欲望に打ち克ち、それを悪用しない、という保証はどこにあるのだろうか。

 

アインシュタインは理解していなかったのかもしれない。人間には、アインシュタインのように高い知能を持った人はむしろ少ないのだということを。手塚治虫もきっと今回のテーマに関してはこう言っただろう。

 

手塚治虫

アインシュタインさん。あなたは大丈夫だろうが、しかし他の人はどうかな?

 

さて、人間は探究心と好奇心を持っていいのか。それともそれは捨てるべきなのか。この話を更に掘り下げたのが以下の記事である。

 

Inquiryで導き出したもの、導き出していくもの(序)

 

追記

この後調べたら、アインシュタインは自分の生み出したエネルギーの公式で原子爆弾が作られたため、日本に来日したとき、泣いて謝ったという。また、ノーベルも自分の作ったダイナマイトが殺人に使われ、『生まれてすぐに殺された方がマシだった』と言ったという。更にライト兄弟の弟オーヴィルも、第二次世界大戦で飛行機が戦争に使われ、自分の人生を後悔したという。つまり、自分の研究を悔いたのはオッペンハイマーだけではなく、ここに挙げたテーマに関連するすべての人物が、その『探究心』を後悔したのである。

 

私は先に言葉だけを見て、手塚治虫や宮崎駿らの方が真理を突いていると考えていた。しかしアインシュタインらの天才ぶりも知っていた。だから今回のような『どちらが正しいか』というテーマの記事を書いたが、やはり私の違和感通り、正しかったのは手塚治虫や宮崎駿らだったようだ。しかし、自分の非を認めることが出来る彼らは、どちらにせよとても賢い人たちだ。

 

それに、こうした研究者がいるからこそ、人々は伝染病で早死にすることなく、あるいは寿命を長くすることができ、便利な暮らしができている。そのことを最後に付け加えておかなければならない。

 

 

『人間にまつわる不思議な話』、『皆が知らない話』。