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イエスの母親は『処女』ではなく『乙女』の間違い!?世界最大規模の2つの翻訳ミスとは

バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス―宇宙船地球号のデザインサイエンス革命 』にはこうある。

すべての人間はいつの時代にも、生まれてくるときには丸裸で、何か月も無力で、空腹でのどが渇き、好奇心旺盛で、無知である。もし凍死したり、渇き死んだり、焼け死んでしまうかもしれないようなところに生まれていれば、人類は生き延びてくることはできなかっただろう。地球の生物圏のなかで、人間が生存し、繁栄するための、論理的にもっとも都合のよい場所は、南大西洋や北インド洋のサンゴの環礁だった。ここではバリアリーフが大洋からの影響を効果的に遮ってくれる。ラグーンの内側のほとんど動きのない海水の温度は生命に実にしっくりしたので、人間はなんの悪い影響も受けずに、水面から頭だけ浸かっていることができた。

 

ラグーンには魚が豊富で、傾斜が緩くていくらでも楽に行き来できる白い砂浜があった。クリスタルのような湧水が山から流れてくる。ココナッツミルクがたっぷり入ったヤシの実が人々の周りに落下し、果実も豊富である。そして、無力な赤ん坊を食べるおそれのある野生動物もいなかった。環礁の人は塩辛い海水が飲めないことに気づくと、まもなく食用に適した野菜や果物が真水と太陽光だけで育つことを学んだ。真水が空や泉から得られることに目をつけると、腰ぐらいの高さで平行に階段状に積み重なっていきながら真水を蓄えられる棚田を発明するようになった。

 

この水溝は、段上にした丘の斜面の高いところから始まっていた。真水は間に設けた調節用の堰を通って、ゆっくりと流れ落ち、その流れはいつも静止しているかのようにゆるやかだった。そして最後には海に注いでいった。環礁の人たちは、動物の皮や木、石で真水を入れる大小の器をつくった。中に水を入れる器もあれば、丸太をくくりぬいてつくった水をかいだすための器もあった。生活の半分を水とともに暮らしながら、彼らは生まれながらの水力学の発明家になっていた。

 

さて、水がどれだけ人にとって必要不可欠なものかは見えた。だが、実はある時代のある地域の人々は、この命の源でもある水とは縁が希薄だった。まず見るべきなのはこの画像である。先日山梨県笛吹川フルーツ公園に行ったときに見たものだ。私はこれを見たとき、兼ねてから気になっていたある歴史的事実のことを思い出した。点と点が結び付き、線になったのだ。

 

画像(山梨県笛吹川フルーツ公園)

 

そして次にこの内容を見る。9.11を経て、宗教についての疑問を爆発させた、『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。

『イブン・ワラクは、一人のイスラム教殉職者につき72人の処女を与えるという有名な約束において、『処女』は『水晶のように透明な白い干しぶどう』が誤訳されたものであると、愉快そうに主張している。いまや、このことがもっとひろく知られてさえいれば、自爆テロの犠牲者となったどれだけ多くの罪なき犠牲者を救うことができていたことだろうか?』

 

アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は『砂漠の宗教』と呼ばれていた。砂漠が当たり前の環境だった当時の彼らにとって、『ぶどう』は水に匹敵するほど貴重な存在だった。もしこれが本当に『翻訳ミス』ならば大変なことである。

 

更に、『処女』と『翻訳ミス』についてあまりにも重大な話がもう一つある。『神は妄想である』にはこうある。

A・N・ウィルソンはそのイエス伝において、ヨセフがそもそも大工であったという定説に疑問を投げかけている。ギリシャ語の『tekton』は実際に大工を意味するが、これはアラム語の『naggar』という単語を翻訳したもので、こちらは職人や学者を意味することがあった。これは聖書を悩ませるいくつかの構造的誤訳のうちの一つである。

 

もっとも有名な誤訳は、イザヤ書が、乙女をさすヘブライ語『almah』を、処女を意味するギリシャ語『parthenos』に変えてしまったことである。簡単におかしてしまうまちがいだがこの一人の翻訳者の誤りが大きく膨らんで、イエスの母親が処女だったというまるっきり馬鹿げた伝説を生むことになるのだ!

 

 

数千年前からあるものを『何の間違いもないもの』と捉えるか『多少の誤りはある』と捉えるか。どちらが真実に近いかということは、頭を使わなければ見えてこない。ただし、キルケゴールがこう言ったように、

 

頭を使って考えない。それが信仰なのかもしれない。

 

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