偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
ふむ…。
運営者
考察
カエサルは言った。
そこに書いたのはこうだ。
母親は私にクリスチャンを強要し続け、今も尚、そうじゃない私を目の前にして『イエス様』がどうとか言い出す。それは、『教育者』として本当に正しいのだろうか。いや、正しくない。彼女はもう何年も前から『教育放棄』をしている。『イエス様に身を捧げすぎて』、どこか思考回路が欠落している印象を持つ。
キルケゴールのこの言葉を見た時にすぐに思い出したのである。信仰とは、思慮と主体性を放棄し、その『主』を自分以外の誰かとし、身を預け、判断を仰ぎ、支配され、あるいは依存することを約束することを言うのだろうか私は、そういう人間の姿勢は、とても謙虚で素晴らしいと考えている。だが、同じくらいこう考えている。(楽をしやがって)と。
MEMO
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
必見
当サイトにある500人の偉人の8000の名言。なぜ『1万』じゃないのか。それは『内省の後半になるにつれ、同じ的を射る言葉が増えた』からです。そしてそれらの真理は、『38の黄金知』としてまとめました。人間が生きる以上未来永劫廃れることのないこの情報を、決してお見逃しなく。
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