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ラッセルとデューイが『もっと現実に目を向けろ』と主張。主体性を埋没させてはいけない

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

  1. ラッセルは何をした人?
  2. ジョン・デューイは何をした人?

1.真理を探究してもいつまでも答えは出てこないので、もっと現実に目を向けなければならないと主張した人です。

2.理想ではなく現実を見て、主体性が埋没しないようにしようと主張した人です。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

彼らは哲学はもっと実用的でなければならないと考えました。

当時の哲学は、『いくら話をしても答えが出ないこと』ばかりに目を向けていたため、ラッセルやデューイはそう考えたのです。デューイは学生に『暗記的学習』ではなく『能動的学習』を求めました。つまりそこにあるのは『主体性』の有無です。ラッセルもデューイも、人はもっと現実に目を向け、主体性を持ち、妙な妄想を抱くことの弊害を訴えました。

 

 

ラッセルがこう言ったように、当時あったのは『第一次世界大戦』や『第二次世界大戦』といった世界規模の戦争です。そしてその理由は『愛国心』という名の妄想。現実に目を向け、本当に冷静な人が戦争を起こすことはないのです。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

19世紀後半の哲学者

ベンサムとジョン・スチュアート・ミルの『功利主義(全体の幸福のためのいくらかの妥協)』が抱える闇

 

上記の記事の続きだ。ジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミルが功利主義について話した。ミルが生まれて70年後のイギリスで、ラッセルが生まれた。

 

[バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル]

 

各人の誕生年

ベンサム 1748年
ショーペン・ハウエル 1788年
ミル 1806年
キルケゴール 1813年
ニーチェ 1844年
ラッセル 1872年
ハイデッガー 1889年
サルトル 1905年

 

ラッセルは、ドイツの数学者フレーゲの影響を受け、ケンブリッジで出会ったムーアと意気投合し、分析哲学を広めた。彼の目的は、それまでにイギリスを支配していた『観念論哲学』を論理的に批判することだった。

 

 

こういった人物たちの考え方を批判するということである。

 

英国経験論の三大哲学者『ジョン・ロック、バークリー、ヒューム』の哲学とは

もう一人の四聖、イマヌエル・カントが『アプリオリ』で人間の尊厳を主張

マルクスに影響を与えたヘーゲルを批判したショーペン・ハウエル

 

哲学はもっと実用的でなければならない。観念論哲学とは、日本の大統領にハゲがいるかいないかの論争のようなものである。つまり、日本には最初から『大統領』はいないので、その問題を考えても一生答えは出ないわけだ。真理を探究してもいつまでも答えは出てこないので、もっと現実に目を向けなければならないということだ。

 

 

 

ラッセルの言葉

彼の言葉で好きな言葉はたくさんある。

 

彼の言葉を見てもわかるように、彼は高い『見識』を持っていたようだ。現実に目を向けて逸らすべきではないという考え方も、ここにある『愛国心』の言葉を見れば意味が見えてくる。多くの人は、盲目的に、『意味がないこと』を考え、『無意味なこと』に傾倒して人生を浪費している。しかし、もっと理性的でなければならない。そうでなければ見える真理も見えてこないという彼の考え方が垣間見えるのである。

 

 

 

ジョン・デューイのプラグマティズム

また、ラッセルと同じように『理想を見るな』と言って、実用主義の中心となったのがアメリカの哲学者、ジョン・デューイだ。

 

[ジョン・デューイ]

 

各人の誕生年

ジョン・デューイ 1859年
ラッセル 1872年

 

プラグマティズム(実用主義、道具主義、実際主義)の中心となり、人間が環境に適応するのに必要なのは『知識』だと主張した。例えば大雨が降った時、知識があれば洞穴に隠れることができ、海辺なら津波の被害を逃れるために高台に逃げることができる。このような考え方をプラグマティズムというわけだ。

 

そして、『過度の政治的幻想』ではなく『適度な目標』が大事だと主張し、理想と現実の境界線をよりハッキリするように努めた。彼の考え方は、『優れた政治制度はすべての合意を引き出す制度』だから、民主主義がいかに重要かということを説明していることになる。

 

無政府主義の先駆者『ウィリアム・ゴドウィン』と『孔子』と『私』。

 

例えば上記の記事に『無政府主義の先駆者』であるウィリアム・ゴドウィンの話を書いたが、ゴドウィンは、『政府なき世界』を求め、『みんなが自律的に動く共同体で法も官僚主義も必要ない社会』を目指した。しかし、初めて『無政府主義』を主張したプルードンは、彼ほど穏やかではなかった。

 

プルードンは、貧しく生まれ、その上に君臨して蹂躙する、権力者を憎んだ。したがって、マルクスやゴドウィンのように格差がなく、政府もなく、平等な社会を望んだのだが、彼らと違ってプルードンは暴力を正当化したのだ。

 

 

人は財産に支配されて生きている。それが原因となって専制政治は勢いを増す。

 

専制政治

支配者が独断で思いのままに事を決する政治。

マルクスの思想を受け継いだのは誰だ!?『レーニン、スターリン、トロツキー』そしてプルードンという男の存在

 

プルードンは、

『財産は盗品である』

 

という名言を残したが、この世に格差があるとろくなことはない、と考えたのはデューイだけではないのである。デューイは学生に『暗記的学習』ではなく『能動的学習』を求めた。つまりそこにあるのは『主体性』の有無である。

 

 

モンテッソーリ教育

 

上記の記事を通して、主体性がどれだけ重要かということがわかる一つの例を見てみよう。『グーグル』を創業した二人、セルゲイ・ブリンと、ラリー・ペイジだが、googleのすべてを詳細に明かした本『グーグル ネット覇者の真実』によると、『モンテッソーリ教育』という教育を受けていたことがわかった。

 

 

モンテッソーリ教育とは、マリア・モンテッソーリという医師が実践した教育法で、自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、『生涯学び続ける姿勢を持った人間に育てる』ことを根幹に置くのだという。まさに日本の東大生には、面を食らう教育法。彼らがやってきた『詰込み』とは逆なのである。彼ら東大生の中には、こう反論する生徒もいた。

 

東大生

別に僕は東大卒というネームバリューが欲しかっただけなんで。

 

その言葉を言った理由がもし、

『東大を卒業しさえすれば、就職に有利。就職氷河期がどうだと周囲が騒ぐが、それは自分には関係ない。社会が求めているのは処理能力の速さだから、それについてトップをひた走る僕らはまさに勝ち組。官僚だろうが企業の幹部だろうが、我々という『人財』を手に入れるために躍起になってくれるはずだ。』

 

という、まさにあの『金持ち父さん 貧乏父さん』で言うところの『貧乏父さん』の代表的な考え方であったのならば、彼がした発想は、この『モンテッソーリ教育』の真逆にある発想だったのではないだろうか。

 

 

そう考えたとき、デューイの求めた『各人の主体性』という観点は鋭い。アリストテレスはこう言い、

 

ニーチェは言った。

 

ここに出ているキーワードは『潜在能力の埋没』である。人間はもっと主体性を発揮し、持てる能力をいかんなく発揮して、人生を悔いなく生きることが求められているのである。そうじゃなければ誰かに支配され、不平等が生まれるだろう。下記の記事はそういうことについてまとめた記事である。

 

Inquiryで導き出したもの、導き出していくもの(序)

 

 

 

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参考文献