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一遍『心は妄心なれば、虚妄なり。たのむべからず。』

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ふむ…。

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考察

『妄心(もうじん)』とは、煩悩に汚され、迷い、誤った心の事。仏教用語である。私利私欲に支配された人間は、よく『魔が刺した(差した)』という事後報告をするだろう。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

『人間には聖性と魔性の両面がある。聖性を優位にし、魔性を劣位にする、という闘いこそがジ・ハード(聖戦)なのである。』

 

仏教用語に話を戻すなら、それが『煩悩』。煩悩に心を支配される人間を傍から見ると、文字通りそれはまるで、悪魔がのり移ったかのように態度が豹変している。

 

つい魔が刺し(差し)ました。

 

簡単にそう言うが、魔が刺した後、加害者側にも被害者側にも、嫌悪が残る。とても人間の所業とは思えない、まるで、人間以外の何かがあざ笑う結果になりそうなその事実からは、昔の人が『悪魔の存在』を想像したことも、うなづけてしまう。

 

 

 

MEMO
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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