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メーヌ・ド・ビラン『偶然にしか接触せぬ人びとの気に入ることよりも、自分自身に気に入ることが必要である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

広告の神、クロード・ホプキンズは言った。

 

大多数の人からなんと言われるか、どう見られるかなど、大したことはない。

 

エレノア・ルーズベルト元大統領夫人は言った。

 

彼らは別に『目的を達成した人々』ではない。『模範的な人生を送る人々』でもない。それに、その人に認められても、また違う誰かには批判される。これだけの人間がいるのだ。家族、学校、会社程度の小さなコミュニティでも不和はあるのに、世界規模、つまり人間規模となるとこれはもう、人からなんと言われるか、どう見られるかを気にして生きることなど、時間の無駄である。

 

例えば私の部下に、自意識過剰にも程がある被害者ヅラした事象悲劇のヒーローがいるが、残念ながら、通りすがりの人や、たまたま店で居合わせた人は、そんな部下のことなど、ヒーローどころか、空気の様な存在だと思っている。それなのに部下は過度に外聞や体裁を気にし(つまり自意識過剰であり)、見栄と虚勢に支配され、一見の人間に対する評価に囚われ、そして直属の上司である私の信頼を落とし続ける

 

一日でも早く理解しなければならない。この人生が、たった一度だという事を。

 

追記:ちなみにこの記事から4年。この部下は入社して10年目を迎えた。だが、未だにこの自意識過剰と、心底にあるコンプレックスを克服することができていない。

 

コンプレックス

 

当たり前だ。内省をして、自分の心に目を向けることをしないのであれば、10年だろうが20年だろうが、その場に足踏みをすることになるだろう。先日、曹洞宗の創始者、道元の生きざまを描いた映画『禅 ZEN』を観た。ちなみに私は無宗教だ。ここで推奨されているのは『只管打坐(しかんたざ)』。その意味は、『余念を交えず、ただひたすら座禅すること』である。その教えを見た後、この黄金律を見るといいだろう。

 

『自分の心と向き合った人間だけがたどり着ける境地がある。』

 

道元の弟子の中には、邪心に心を支配されて、寺を去った者もいる。だが、忘れてはならないのは、自分の心に目を向けない以上は、どこへ逃げても永久に答えにはたどり着かないということを。逆に言うとそれは、いつでもどこでも、人は本気になれば自分の心と向き合うことができ、人生を変えることができるということに他ならない。その事実に気付く速度が、人間の器の大きさと知性の高さを決める指標となる。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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