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御木徳近『「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、「君は一体人生を何だと思うか」と反問したい。努力して、創造していく間こそ、人生なのである。』

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ふむ…。

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考察

私はこの言葉を17歳の時に見たが、それから頭の中からこの言葉が消えることはなかった。『人間』というのは、ただ息をしているだけではダメだということは、ルソーのこの言葉からもわかるはずだ。

 

息をしているだけで人間になるということならば、無実の赤子や女性を地獄の鬼のように凌辱、暴行し、無差別にテロを起こして殺人を繰り返し、虫も植物も動物も建物も、この世の森羅万象をすべて見下して破壊と殺戮を繰り返し、一発で死刑になるような者も、『人間』として数えなければならない。無差別に銃を乱射して『派手に終わらせてやるよ』という書置きを残し、自殺するような無責任極まりない者に対しても、『人間』という称号を与えなければならない。

 

その他にもパラサイト中年、自堕落な浮浪者、悪徳な暴君、馬鹿で無知な二世、厳しい口調にはなるが彼らは『努力』をしないで何かのすねにかじりつき、まるで寄生虫のように寄生して、人生を生きながらえるが、そんな彼らは『人間』として機能しているだろうか。

 

例えば納税をしない者はどうだろうか。それからルールや法律だ。マナーや道徳だ。 人に対する配慮、気遣い。これらは努力の上に成り立つ概念だ。気を抜いて油断していては出来ないことだ。それなりに気を遣う。つまりそこには『努力』が生まれているのだ。

 

人間は、動き、話し、撫で、愛し、学び、遊び、食べ、寝て、配慮し、叱咤し、鍛え、葛藤し、働いて、納税し、自分と自分の家族と、その他の全ての人間と、あるいはその後の全ての人間の為に命を繋ぎ、世界を耕し、あるいは設計し直し、構築し直し、過ちを繰り返さないよう、叡智を積み重ねられるよう、毎日毎日、確かな一歩を歩くべきなのだ。

 

それが『人間』である。それ(創造)をしている間を『人生』と呼ぶのである。これらの根幹にある『責任』を放棄したとき、例えば、無免許で車を運転し、対向車線を突っ走る行動に走ったとしよう。酒を浴びるほど飲み、意識の酩酊した状態で車を運転したとしよう。それで事故で多くの人の命を奪ったとしよう。そこにいるのは本当に『人間』の真の姿だろうか。

 

運転

 

確かに、死ぬ。短絡的に捉えれば、確かに虚しく、儚い命だ。だが、『だからこそ尊い』と捉えることが出来るはずだ。それ(命の尊さ)を知った者こそ、『人間』と呼ぶにふさわしいのである。

 

 

 

 

MEMO
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