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マシュー・アーノルド『真理は瀕死の人の唇からもれる。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

『瀕死』というのは、死期が近づいている人や、死の床に着いている人、あるいは人生の黄昏時を迎えている人のことを指す。ある本にはこう書いてある。

人生のたそがれどきを迎えて、死の床につくとき、あなたが後悔するのは、負ってきたあらゆるリスクではない。あなたの心を満たす最大の後悔と悲しみは、「避けてきた全てのリスク」、「つかまなかった全ての機会」、「立ち向かわなかった全ての恐怖」です。

 

しかし、『そういった真理は、『瀕死』だからこそ直視出来たのだ』という声も聞こえてきそうだ。それぐらい、リスクに立ち向かい、チャンスに前のめりになり、恐怖を克服することは、容易ではない。

 

という常識が蔓延している

 

常識

 

つまり蔓延しているだけだ。例えば疫病が蔓延していることを、良しとするだろうか。いや、しない。だとしたら、『蔓延していることは=良しとされること』ではない。それが『常識』でも『法律』でも同じことだ。

 

ソクラテスは、

 

と言って、無実の罪なのに、処刑された。無知な人に。理不尽な裁判で。悪法に。ソクラテスが偉大な理由は、彼が『別に瀕死じゃないときから真理を口にしていた』ということである。キリストブッダも同じだ。孔子もそうだ。もちろんその他にも大勢いる。彼らが偉人の代表者だ。17歳の頃亡くなった私の父も、片寄った思想を持っていて決して完全ではない人間だったが、死に際の話は、傾聴に値するものだった。

 

私はこの世で手に入れられる、大体の事を手に入れ、満喫した。しかし、・・・。

 

この後のことが今どうしても思い出せないのだが、別にトラウマ的に何か蓋をして忘れているということではない。わざわざ書類を探し出して思い出すようなことも書いていない。とにかく言っていたのは、『しかし、』と続くような言葉だった。

 

ショーペン・ハウエルは言う。

 

何にせよ、渇きを訴えようと思えば、人は永久に渇いたまま。死のうが生きようが、何を手に入れようが、入れまいが、それは変わらないのだ。だとしたら我々はこの世をどういう心構えで生きるべきだろうか。それは、各々が答えを見つけて、人生を旅するのが良いだろう。

 

一度しかない人生を。悔いの無い人生を。

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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