偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『私はケチだから麦飯を食べているわけではない。いま天下は乱れに乱れ、領民も安らかな日は一日もない。そんななか私一人が暖衣飽食などできるものか。私が麦飯を食っているのも、少しでも節約して軍資金に回すためなのだ。』
キリストは言った。
『生き金、死に金』である。
倹約家は、生き金なら使うことを惜しまないが、死に金には1円たりとも使うことはない。 ケチは、生き金も死に金も使わない。いや、使えないのだ。お金に支配されているからである。
お金の使い方は3つしかない。
- 浪費
- 消費
- 投資
の3つである。つまり倹約家は、それらの違いを熟知している。従って、回すところには回し、抑えるところは抑えることが出来るのだ。
そもそも『麦飯』は身体に良い。だとしたらこの行為すら、これは投資なのである。投資と浪費の感覚を見極めた人間は、無意識にでもリソース(ヒト、モノ、カネ)、時間の最適化が出来るようになる。現代の経営の神、稲盛和夫は、寄付するときは20億円という大金をどーんと使うが、10円の焼き栗を、10円以外の金額で買おうとすることは決してない。
たとえ1円という単位の金額でも隙を見せない。こういう一分の隙も無い人間でなければ、この世の大海原という名の海水を油断と隙という脇の甘さから侵入させ、船を沈没させてしまうだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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