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串田孫一『忍苦とは、晴れ晴れした日の予感を抱き、現在をその日のために、どうしても歩まねばならぬ当然の道として、黙って進むことである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

すぐに結果が出るのは、それは『膨張』だ。『成長』とそれとは、一線を画すのである。

 

経営学の父、ドラッカーはこう言っている。

 

膨張は、弾けるのが相場だ。往々にしてそういう人間が歩く道は、『歩きたい道』であり、成長路線を見据えた覚悟ある人間は、『歩くべき道』を歩くイチローは、ある記者のこのやり取りでこう言った。

 

記者

イチロー選手は、なぜ同じ毎日の繰り返しで、成功することが出来たんですか?

 

 

見るべきなのは以下の黄金律だ。

 

『基礎工事をしない建築物、基礎土台をおろそかにする人間。どちらもその限界は、知れている。』

 

歩きたい道を歩くことは簡単だ。舗装されている。ガイドブックに出ているのだ。だから往々にしてその道を歩くことに危険はなく、滞りなく歩き続けることができるだろう。だが、『歩くべき道』とは何だろうか。

 

モンテーニュは言った。

 

モンテーニュが言う『歩くべき道』とは、決して『楽であり、生きながらえられる道』ではない。目の前で子供が車に轢かれそうになったのを見たとき、どう行動すればいいだろうか。自分が走ってその車を助ければ子供の命は助かるかもしれない。だが、その代わり自分の命は失うかもしれない。自分には子供がいる。その目の前の子供は、赤の他人の子供だ。では、だからという理由でその問題を見て見ぬふりをすればいいのだろうか。モンテーニュが言う『賢者』とは、決して『その子供を見て見ぬふりする人間』ではない。

 

子供

 

『忍苦とは、晴れ晴れした日の予感を抱き、現在をその日のために、どうしても歩まねばならぬ当然の道として、黙って進むことである。』

 

串田孫一が言うのは『明るい未来の為に今の努力を怠るな』ということ。したがって、その子供の例で言えば、一見すると自分が死んでしまえばその未来は来なくなってしまう。

 

だが、本当にそうだろうか。まず、『その日』というのは、どの日のことだろうか。大金を掴んでいる日?事業を成し遂げた日?家族で笑って食事をしている日?そしてそれは、目の前で轢かれて死んだ子供の命を見て見ぬふりをして築き上げた日?そしてそれは、途上国でろくに食事も摂れずに死んでいった子供たちの命を、見て見ぬふりをして築き上げた日?どのような『その日』を想定しているかわからないが、見るべきなのは以下の黄金律だ。

 

『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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