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エリザベス・キューブラー・ロス『人生の暴風雨を恐れたりしていたら、安らぎなんて見つけられません。』

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ふむ…。

考察

何しろ人生自体が、暴風雨だ。逆に『安らぎ』という様な状態は、単なる現実逃避。自分がそう思い込んでいる間に、世界で脅威は発生していて、自分はというと、それを見て見ぬフリをして安らいでいる。見るべきなのは以下の黄金律である。

 

『愛があれば全ては解決する。』

 

本当の安らぎが来るのは、全世界の人が救われてからだ。そして天災や病気、飢饉や飢餓の脅威を救ってからだ。それが来ないなら、永久に『安らぎ』など来ない。それで安らぎがあると言っているのであれば、それは単なる現実逃避かつ無責任である。

 

だが別にそれについてくよくよする必要はない。最初からそういう暴風雨なのだ。自分がその原因の種を直接的に作ったわけではない。だから過度にそれについて責任感を覚える必要はない。だが、だからといって『関係ないフリ』をするのは間違っている。関係あるからだ。それとも、目の前で困っている老人や子供を助けることだけが正義なのだろうか。目に見えないところにある脅威はどうでもよく、目の前に映っている光景だけに支配されているのであれば、それはあまり賢明な人生だとは言えない。

 

賢明

 

人生自体が暴風雨だ。それを嫌がり、安穏としてほのぼのとした一日を求めようとするのは、人間の自己防衛本能である。どんな人間として、過酷な場所にいるよりは、のんびりできる場所で昼寝をした方がリラックスできるに決まっている。しかし、『リラックス』をして一体何になるのか。そんなことをしている間に、この世で人は大勢理不尽に命を落としている。だとするとそれは単なる現実逃避であり無責任な行動だ。

 

ブッダは言った。

 

ブッダ

 

『執着さえなければこの世の苦しみから解放される』と。

 

 

人生というものは元々、人間の思い通りにいくものではない。思い通りにいくのは『考え方』であり、それは以下の黄金律を考えたときに見えてくる『インサイド・アウト』である。

 

『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』

 

それはつまり、先ほどのような考え方で世界に視野を向け、それに対して何もしていない自分に罪悪感を覚えたとき、悲観視し、自分を責め、うつ病になりそうになったとき、このインサイド・アウトの発想で『リラックス』をし、自己防衛できる。そういう考え方はある。だが、それは違う角度から見たら『無責任』である。責任から一時的にでも目を逸らし、自分の心身の正常を優先にした。人間がそうやって自分の心身を最優先にするから、この世に人為的な理不尽が消えることはないのだ。

 

『人生の暴風雨を恐れたりしていたら、安らぎなんて見つけられません。』

 

確かに彼女の言うとおりだ。この世がどんな状態であってもインサイド・アウトの発想があれば、どんなところにでも安らぎを見つけることができる。だが、問題は『安らぐ』ことが何を意味するかだ。

 

シェイクスピアは言った。

 

しかしもちろん、世界平和とはこの世を生きる全人間が、この儚くも虚しい人生に『安らぎ』を見出すことである。

 

 

MEMO
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