『武田信玄の言葉』を自分のものにしよう!

武田信玄とは(画像

日本武将通称『甲斐の虎』。武田信玄は1521年大永元年11月3日、甲斐国の守護者・武田信虎の嫡男として生まれました。甲斐の虎の異名を持ち、越後国の上杉謙信と五度にわたって争った川中島の戦いは、後年さまざまな作品で虚実織り交ぜつつ描かれています。なお一般的な武田信玄のイメージは全59品からなる軍学書「甲陽軍鑑」によるものが大きく、江戸時代には読み物として親しまれました。

 

武田信玄が信濃国を平定したのは1553年。同年には信濃国を追われた村上義清らの要請で出征した上杉謙信との間で第1次川中島の戦いが勃発します。この時は両者痛み分けという形で終わっており、武田側にとっては村上氏の本領地を掌握したことで一定の戦果を上げています。

 

その2年後の1555年に行われた第2次川中島の戦いは犀川の戦いとも呼ばれ、200日以上にもわたる戦いが繰り広げられました。この戦いも決着は付かず、駿河国の今川義元の取りなしで和睦を成立させ、両軍撤兵という形で幕を閉じています。その後第3次合戦を経て、もっとも大規模な戦いとなった第4次合戦(八幡原の戦い)が1561年に行われます。一般的に川中島の戦いといえばこの4次合戦のことを指していますが、経過を記した史料に乏しく、具体的にどのような戦いが行われたのかは今もなお謎となっています。

 

上杉謙信との数々の激戦ののち武田信玄は病に倒れ、元亀4年4月12日、進軍を中止して甲斐に引き返す三河の街道上で53歳で死去。遺言によりその死は三年間秘匿されていたと言われます。

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