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孔子『葬式が重要?退屈そうな奴や寿司のことを考えている奴がいるのに?何か勘違いしていないだろうか。』


孔子の言葉


儒教の始祖 孔子(画像

 

式を挙げる、葬儀をすること自体が悪いのではない。ここで考えるべき重要なテーマは、『形式にこだわりすぎて本質を見誤るな』ということなのである。

 

私もいくばかりかこうした冠婚葬祭に参加してきたが、あまりいい思い出はない。 なぜなら、『形式』にこだわりすぎて、『内容』が無いからである。それは例えばこういうことだ。

 

一見すると内容があるように見えて、『本当に言うべき意見』は言わない。だから心は動かない。感動もしない。まるで虚しい。そんな虚しい人生を、せめてその日は正当化しようと『メッキ』を張る人間の儀式は、空虚である。

 

宗教もよくわからない。何の宗教で、これは何のお経なのか。何の意味があるのか。 教会での式を挙げるが、どこにクリスチャンがいるのか。いないなら、なぜ宗教儀式を軽々しく行えるのか。

 

そして今まで私が経験した儀式で『内容が無い』と言った最も重大なポイントは、

 

『私の心が、対象者ではなく、儀式に帳尻を合わせようとしている』

 

という事実である。対象者ではなく、そこに集まった人間の目線や心理状況、あるいは儀式の方に向けて帳尻が合わされる。これがずっと、本末転倒の様な気がしてならなかった。もっとも、これは信仰を持った親の下に生まれた私の、宿命とも言えるパラダイム(価値観)なのかもしれない。私はこういう問題を、考えざるを得なかった環境に生まれた。

 

私はもう決めている。自分の冠婚葬祭は、『形式的には絶対にやらない』と。 例えば、キリスト教系の教会でウェディングドレスが着たい将来の妻には悪いが、『ドレスを着たい』などという理由だけで、私の信念を曲げることを望むような妻は、そもそも私の妻ではない、と考えるのが当たり前の発想だ。別にドレスを着るなら、キリスト教系の式場で、儀式を挙げてまで着る必要はないだろう。クリスチャンでもないのに教会で式を挙げる。私は信仰を持たないと決めた人間として、それは神への冒涜だと考えている。

 

まさか、大勢の人がやっているからといって、それが正しいと思っているわけではあるまい。結婚は別にたった二人で誓い合い、それが本物の誓いならそれでいいはずだ。結婚式がない時代はどうだっただろうか。その時代の彼らは、結ばれなかったとでもいうのだろうか。式を挙げることに何か意味があるのだろうか。

 

あるいは私は別に家族・親族、友人に理解者がいないのに、それを無理やり集めて、表層的に『仲がいいぶる』真似は絶対にしない。まさか、これほどまでの私の意見を聞いて、『でも私はウェディングドレスを着た姿を人に見せつけたい』などというわけではあるまい。そういう人間には、どちらにせよ私は魅力を感じないだろう。

 

『離婚しないように』、『お世話になった人に見てもらう為に』などという理由でもって式を挙げることは当たり前だと主張し、ド派手なウェディングドレスを着て盛大に有名人を集めて、何億もかけて結婚式を挙げ、それで簡単に離婚した人間は大勢いる。

 

私は彼らに対して同情はするが、憧れることはない。儀式が、どれだけ無意味なものかを知るには、彼らの人生はとても良い反面教師だ。私の知人にも、金に物を言わせて前述したような派手な式を挙げたのはいいが、数年後に、出るわ出るわのホコリにまみれ、地の果てに堕ちた人間が居る。こういう人間を見てきたことももちろん影響している。

 

儀式など、何の意味もない。それよりも重要なのは、『心底の本音や絆』である。葬式で、(早く終わらねえかな)とあくびをしたり、終わった後の寿司のことを考えている人間が居る。かくいう私が、以前そういう人間だった。私の心には常に違和感があった。

 

(こんなんでいいのかな)

 

人が死に、あるいは人と結婚する。こんなにも重大な問題を『儀式頼み』にしなければならない自分を、私は責めたいと考えるようになった。

 

孔子は、

『あなたは本当に信心深いか?エセ(似ているが違う人)ではないのか?』

 

ここに書いたが、

『自分の先祖の霊でもないのにペコペコ頭を下げて拝むのは、信心深い行為をしているのではなく、 あわよくばご利益を得ようとの下賤な行為だ』

 

と言っていて、私と同意見を持っていたのである。

 

そしてこうも言う。

 

『葬儀は、形式を整えるよりは、心から哀悼の意を表すことが肝心だ』 (八佾第三-四)

 

あるいは、

『死者の身内は哀しみで食事も喉を通らないほどなのだから、そのそばでは、パクパクものを食べるのは控えた方がよい』(述而七-九)

 

とも言っている。

 

ウェディングドレスを着たり、式を挙げる、葬儀をすること自体が悪いのではない。ここで考えるべき重要なテーマは、

 

『形式にこだわりすぎて本質を見誤るな』

 

ということなのである。

 

 

参照:子遊曰わく、喪は哀を致して止む。

(子張第十九-十四)

 

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

 

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