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孔子『正の遺産か負の遺産。どちらかしか遺せないのなら、どちらを選ぶか。』(超訳)

儒教の始祖 孔子画像

内省

孔子の教えである『儒教』というのは、孔子が始祖ということになっているが、もともとは『周王朝』にあったという。孔子は祖国を厚く信仰していた。その理由は、周王朝が衰微こそしていたものの、その代わりに教育にとても力を入れたからだ。国民の知的水準の向上に力を注いだ。そんな国家を、孔子はとても信用したのである。

 

『教育』は、全ての人間にとって絶対必要不可欠なものだ。辞書で紐解けばその意味がよくわかるだろう。『教育』とは、『ある人間を望ましい姿に変化するために、心身両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養などを図り、人の持つ能力を伸ばそうと試みること。』という意味なのである。 ※涵養(かんよう)…無理をしないで、ゆっくりと養い育てること

 

これが本当に重んじられていれば戦争など絶対に起きない。軋轢も、不和も、横領も、暴動も、強要も、揉め事も、差別も、制裁も、乱用も起きない。その全てが行われることは、『望ましい姿』ではないからである。

 

『対立』はあっていい。切磋琢磨し、あるいは対立し、そこで新たな有が生み出される。あらゆる勝負事も『対立』だ。与党と野党の存在理由もそうだ。男女が『対立』し、新たな生命が生まれる。光と闇が『対立』し、地球の生命が在る。対立は意味を間違えなければ往々にして、健全である。

 

しかし、前述したようなことから生まれるのは『負の連鎖』しかない。例えば孔子も、自分の国が『負を生み出す教え』をしていたのであれば、当然愛国者ではなかっただろう。

 

孔子が圧倒的な聖者、教育者である背景には、『真の教育』が遂行されていた時代が、深く関係しているのである。『戦国時代』だったなら、孔子は孔子として語り継がれなかったかもしれない。ただの一戦士として戦争を強要され、戦場で理不尽に命を落とし、あるいはソクラテスのように悪法、いや『悪国』によって抹殺され、『負の連鎖』の原因の一つに、なっていたかもしれない。

 

孔子がソクラテスやキリストと同じような目に遭って、彼らと同じ行動をしたかどうかは定かではないからだ。とにかく、真の平和と、真の教育がある社会は、無から有を生み出し、健全で、生きがいのある社会だ。負の遺産か、正の遺産か、どちらにせよ誰であろうと、人間は単なる生命の一つだ。 そのどちらかしか遺せないのであれば、正の遺産を遺す誇り高き生命で在りたいものだ。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

八佾第三-十四

子曰く、周は二代に監み、郁郁乎として文なるかな。吾れは周に従わん。

関連する『黄金律

『愛があれば全ては解決する。』

『流動変化が避けられないことを知っているかどうかは、人間の運命を大きく変える。』

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