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キリスト『人には魔性と聖性がある。魔性を消し去ることは出来ない。だが、抑えることは出来る。』


イエス・キリストの言葉


キリスト教の礎 イエス・キリスト

 

魔性(ませい)と読む。よく聞くのは『魔性(ましょう)の女』の読み方だが、これ(ませい)は完全に私が創っている読み方だ。 魔性と聖性(せいせい)である。しかし『魔性(ましょう)』でもいい。 別にそんなことは関係ないからである。

 

さて、『人間は罪深い』。それはなぜかというと、この『魔性』が一生消えることがないからである。

 

吉行淳之介は言った。

『汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。 生きているのに汚れていないつもりならば、それは鈍感である。』

 

太宰治は言った。

『とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。』

 

人間が『聖性のみ』になることは、生涯あり得ないことである。しかし、『魔性を封じ込める』ことは出来る。 我々人間に課せられているノルマとは、そのバランスを保つことなのである。

 

法の不遡及(ほうのふそきゅう)とは、今は違法だが、以前は合法だった場合、過去を遡ってその行為を罰することを、禁ずる、 という法律の概念である。

 

考えてみればわかる。『廃刀令』が出たとして、刀を持っていると『銃刀法違反』で逮捕されると決まって、 刀を持つのをやめた。 しかし、『お前、以前刀を持っていたよな』と言って逮捕された。それはおかしい。『その時は合法だった』のだ。というよりもむしろ、『誇り』だった。 それを、後から出来た法律によって、遡って逮捕されるなど、理不尽極まりないのである。

 

同じような考え方が、人間にも必要だ。かつて悪い人間だったが、今は悔い改めた。 そうしてまっとうな道を歩こうとしている。その人間は、『魔性』を封じ込めるべく、『聖性』の勢力が増したのだ。自分の力か、あるいは周りの力か、とにかく『聖性』が、生きる力を取り戻した。

 

彼らの『過去の罪』を、消し去ることは出来ない。しかし、『魔性』を憎み、『聖性』は称賛するべきだ。それが人間の生きる道である。

 

 

参照:『第二法の書 第18章』

 

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

 

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確かに人間は、闘わなければならない。だが、その相手は『外』にはいない。


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キリスト『人には魔性と聖性がある。魔性を消し去ることは出来ない。だが、抑えることは出来る。』


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