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覚えた『世界四大文明』はもう違う?人類最古の『文明』とは何か

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

人類最古の『文明』は何文明?わかりやすく簡潔に教えて!

紀元前14000年に中国の『長江文明』があったと考えられています。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

『世界四大文明』は『大文明』のことです。

メソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明というのは世界四大文明です。単なる文明ということになると、それよりも前にいくつかの場所でありました。『文明』を語るには、前提として農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農作物の生産がなければなりません。

 

紀元前14000年に中国の『長江文明』があったと考えられています。現在の『イラク、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナ、エジプト、トルコ、西北ヨルダン、西南イラン』あたりの地域を指す『肥沃な三日月地帯』には、紀元前9000年にそれが行われていた証拠が見つかっています。

 

しかし、文明の定義として『大きな人口』とするものがあり、それを考慮するならば、やはり『メソポタミア文明(紀元前6000~紀元前4000年頃)』が一番古くて大きな文明と言えます。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

人間に発生した『格差』

5000年前~

生きるために『水』が必要だった。だが、『満足』した人々は『贅沢』を求めた。

 

上記の記事の続きだ。このようにして乾燥から逃れ、水を求めた人々は、大河のほとりに移り住むようになり、そこで文明を開くことになる。前回の記事のテーマは『満足した人間が、贅沢を求めた』ということ。それが原因で人々の間に格差が生まれるようになるという見解をした。

 

力をもつものがほかの人間を使役し、階級の差が生まれ、王や神官、貴族による君主国家が全世界で始まろうとしていた。

 

人々の間に格差が生まれるようになったのは、

 

  1. 力を持つ者
  2. 力を持たない者

 

が現れるようになったからだ。力を持った者がそうでない者の上に立ち、統治し始めるようになる。ルソーから言わせるならば、それはとても『不自然なこと』だった。前回、力を持った者はどういう者かということについて、以下の2つを書いた。

 

  1. 広い土地を持つ
  2. 多くの労働力を持つ

 

ここでいう『労働力』とはまさに『子供』のことである。やはり人間というものは『欲望』の塊であり、全員が平等ではつまらないと考えるのか、力を持った者が『楽』をしようとして、人の上に立ち、それを統治してより大きな力を得て、自分の立場を堅固なものにしようと画策するようになるわけだ。

 

 

『水』が人に与えたもの

『エリア別だから流れがつながる 世界史』には『農業の進化と国家の成立』としてこうある。

 

STEP.1
集団で生活
大河付近のデルタ地帯(三角州)で農業のための集団生活が始まる。
STEP.2
余剰食糧の社会科
農業の発達が食糧の余剰を生み、社会的余裕により神殿・神官が誕生。
STEP.3
分業の始まり
食料の貯蔵庫がつくられ、農業や土器作成のスペシャリストが登場。階級の出現。
STEP.4
国家の形成
不足する物資を補うため、ほかの集団(遊牧民)などとの物々交換を開始。

 

『農業の発達が食糧の余剰を生み、社会的余裕により神殿・神官が誕生』したとある。つまりここからわかるのは『持て余した力』、あるいは『余った力』がそのような『贅沢なもの』を生み出したということ。余りある力のおかげで働かなくてもいい人が出てきて、人々の間に格差が生まれるようになるわけだ。

 

そして前回書いた以下のような流れにつながる。

 

STEP.1
人間の集団生活の規模が大きくなる
STEP.2
農耕と定着生活が始まる
STEP.3
氏族団体が部族団体に拡大
STEP.4
部族が連合して部族連盟が形成
STEP.5
部族連盟の規模が大きくなって古代国家が作られる
STEP.6
人間の集団生活に新しい秩序が必要になる

 

力を持った者が、徐々にその力を拡大させていこうとする動きが見られるようになるわけだ。そしていずれそれが『帝国』を作る動きにつながるようになる。最初は単独で行動していた人々だったが、集団生活をして、農耕等でエネルギー源を十分に確保できるようになると、その持て余した力で今度は『次なる欲望』を満たそうとしていったのだ。

 

ローマ帝国を力づくで作った時、帝国内の『宗教観の違い』の問題はどうクリアした?

 

そう考えると、『水』は命の源でもあり、人々を思い上がらせる『魔力』も秘めていた。水がなければ人は絶滅していたかもしれないが、水があったからこそそこで人は栄え、そして傲慢な態度を取るようになっていったのだ。だとしたら、最初から水は『ほんの少し』だけで良かった。

 

ブッダ(釈迦)は、

『人の欲望というものは、たとえヒマラヤの山を黄金に変えたところで満たされることはない。』

 

と言ったが、その際限のない欲望を暴走させたのは、『水』だったのである。もちろんこれは視点の一つだ。本当は、以下の黄金律をすべての人々が見極めていたらそれでいい。

 

『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』

 

 

だが、実際にはどうか。思慮深く考え、以下の黄金律を知り、『足るを知る者は富む』という真理を見つけるのは、ずっと後のことになる。

 

『足るを知る者は富む。足るを知らぬ者は貧しい。』

 

儒教、道教、仏教の中国三教が全てこれを説いている。しかし、ブッダや孔子が現れるのは紀元前500年頃だ。人々が水を求めて大河の近くに移り住み、そこで文明を作ったのは紀元前4000年前ほどのこと。まだまだ人々の知能は動物に近いものだったのかもしれない。そして実際には、以下の黄金律に支配されてしまっていたのが現実なのである。

 

『人間が転落するタイミングは決まっている。「得意時代」だ。』

 

それには以下のような事実も関係しているだろう。バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス―宇宙船地球号のデザインサイエンス革命 』にはこうある。

エジプトやメソポタミアの石に掘られた記録から、世界的社会の歴史は人類が物理学や化学、生物学全般にわたって何も知らない状態から始まっていることがわかる。人間は安全な食べ物をほんの少ししか知らなかった。あやしげな場所で摘み取られた一見おいしそうなものを食べて、多くの仲間たちが中毒死していくのをまのあたりにした。伝染病がはびこっていた。平均寿命は22歳程度で、時折言及される、聖書に言うところの『人生70年』のおよそ3分の1に過ぎなかった。

 

伝染病があっても、それの治し方も知らなかった。平均寿命は22歳程度であれば、それは『大人になる(熟達する)』前に死亡してしまうということ。様々な理由が重なって、人々の欲望は、暴走しやすい状態があったのだと推測できるのである。

 

寿命が『22歳』でこの世の生活が『苦あるのみ』であれば人は何を想う?

 

 

『文明』の始まり

では、世界四大文明というのはいつの時代のことを指すかまとめてみよう。

 

メソポタミア文明 紀元前6000~
エジプト文明 紀元前4000~
インダス文明 紀元前2500~
中国文明 紀元前14000~

 

実は、これらの正確な数字が出ない。参考書ですべて違う数字が出てしまっている。例えば『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』には『紀元前4000年頃』に、メソポタミア文明とエジプト文明があったとされているが、中には『紀元前6000年頃』とされるデータもある。また、世界四大文明は、

 

  1. メソポタミア文明
  2. エジプト文明
  3. インダス文明
  4. 黄河文明

 

の4つが通説だが、先ほど挙げたように『紀元前14000年』頃からあった『長江文明』というもの見つかっていて、それらをまとめて『中国文明』と数えるなど、まだ整理しきれていないようだ。

 

 

『文化』と『文明』

確かに、『文化』と『文明』があって、文化であればもっと前から様々なものがあった。しかし、人々がより発展し、栄えた意味を持つ『文明』となると、メソポタミア文明が一番最初というのが通説だった。だが、このようにして『長江文明』という文明の名がつく歴史が見つかっている以上、今や世界四大文明の一つは『黄河文明』ではなく、『中国文明』であり、最も古いのはその長江文明ということになる。

 

また、Wikipediaにはこうある。

遼河文明(りょうがぶんめい)とは、中国東北部の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。

 

遼河文明(りょうがぶんめい)であっても、黄河文明やメソポタミア文明よりも前にあったというデータがある。どちらにせよ、『紀元前3000年頃にあったメソポタミア文明が最古の文明だ』というのは、あまり正確な表現ではなさそうだ。

 

 

 

世界初の文明とは

Wikipedia『文明の発生』を見てみよう。

文明が発生するには、まず前提として農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農作物の生産がなければならない。最初期の農耕はオリエントの肥沃な三日月地帯において11,000年前、パプアニューギニアで9,000年前の証拠が発見されている。これらは、2万年前に最も寒くなった最終氷河期の終わり、1万年前に相当する時期に当たる。この時期はBC5300年頃にはメソポタミアにおいて灌漑施設が建設されるようになり、ウバイド文明と呼ばれるメソポタミア最古の文明が成立した。その後、紀元前4000年ごろからはウルやウルクといった都市がメソポタミア南部に相次いで建設されるウルク期と呼ばれる時期に入り、BC3200年ごろには楔形文字が発明された。

 

文化というのは『~を作る文化があった』というときに使うが、文明となるとそれだけじゃ足りず、もっと発展する現実がなければならない。ただ、『農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農作物の生産』があれば最低限の条件が揃うので、そうなるとこの『肥沃な三日月地帯』にあった農耕の証拠は、文明の証拠と言えるかもしれない。

 

[肥沃な三日月地帯と呼ばれる地域]


参考
肥沃な三日月地帯Wikipedia

 

さらにWikipediaを見てみよう。

 

マルクス主義の考古学者ゴードン・チャイルド(1892年-1957年)の定義では、文明と非文明の区別をする指標として次のものを挙げている。

 

  • 効果的な食料生産
  • 大きな人口
  • 職業と階級の分化
  • 都市
  • 冶金術
  • 文字
  • 記念碑的公共建造物(ピラミッドなど)
  • 合理科学の発達
  • 支配的な芸術様式

 

 

まず、こような条件が満たされることが『文明』の称号にふさわしい現実である。だが、続けてこうある。

上記の定義は、ひとつの連続する過程として説明することができる。まず農耕が開始され、効果的な食料生産によって農耕民たちは大きな人口を抱えるようになる。またこれによって大きな余剰農作物が生まれ、その富を元にして農業以外を生業とするスペシャリストが生まれ、多様な職業に従事する人々が生まれる。同時に、食糧生産をより効率的にするためには灌漑施設の建設などの土木作業が不可欠であり、これを可能にするために社会の組織化が推進される。こうした事業はしばしば豊穣などを神に祈るための信仰と結びつき、食糧余剰を管理しより増産を進めるための機構として神官団が生まれる。

 

また、食糧生産の過程で富の偏在が生まれ、富裕なものは他者に対し優位に立つようになる。この2つのシステムは結合し、こうして政府と階級が生まれる。上層の階級のものはその村落のみならずやがて周囲の村落にも影響を及ぼすようになり、一つのまとまった支配圏が誕生する。こうしてより富が集積されるようになり、さらに増えた人々やスペシャリストたち、そして支配階級のものがまとまって居住する支配や交易の拠点、いわゆる都市が誕生する。支配層が統治の必要から社会システムを発展させていく中で、文字や記念碑的公共建造物、芸術様式を発達させていき、一つの文明が成立することになる。

 

まさにここには前述した内容と同じものが書かれている。人々の間にどうして格差が生まれるようになったのかということだ。むしろWikipediaのほうが参考書にない情報まで書いてくれている。それが『神官が登場した理由』である。そのあたりについては、紀元前1300年頃のモーセが活躍した様子を描く映画『エクソダス:神と王』でも見ることができる。まさに人々は、神官の『占いのようなもの』の結果を信じていたのである。

 

 

しかし、Wikipediaには続けてこうある。

ただし上記の指標はすべてそろっていなければならないわけではなく、たとえばアンデス文明は文字を持たなかったし、アンデス文明およびアステカやマヤといったメソアメリカ文明においては冶金術も鉄器レベルまでには達していなかった。

 

先ほどの条件がすべて当てはまらなくても『文明』と呼んでもいいようだ。そ

 

 

世界四大文明

う考えると、とにかく『世界四大文明』というのは、

 

  1. メソポタミア文明
  2. エジプト文明
  3. インダス文明
  4. 中国文明

 

だが、これらは『大きい文明』ということであって、最初にできた文明という風に覚えないほうがよさそうだ。またその時期に関しても意見がバラバラなので、とにかく世界四大文明はこの4つである、ということで覚えておくのがいいだろう。次はまず、その世界四大文明のうち『メソポタミア文明』についてみてみよう。

 

 

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