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孔子『本当の人助けとは、自立の支援だ。育児と教育の違いでも、それはわかることである。』(超訳)

儒教の始祖 孔子画像

内省

育児とは、 乳幼児を育てるような教え方だ。教育とは、 心身共に望ましい姿に成長させるために働きかける教え方だ。育児と教育は違う。『愛しているから』という大義名分を詭弁に使い、これを混同させる人間が多い。多いというか、多すぎてむしろ、この違いを知っている人間の方が少ないから、 つい多数決的な考え方で、少ない方が間違っているのではないかという疑問さえ浮かんでしまう。

 

だが実際には違う。人を刺した子供を、 『うちの子はいません』 などと言って家にかくまって警察を追い払おうとする母親も、 自分には『愛がある』と思っている。だが、 愛は愛でも、それは『歪曲した愛』だ。 とっくのとうに『乳幼児』ではない対象者に対し、『責任』を教えないことは『教育放棄』である。

 

愛とは、確かに『与えるもの』だ。 だが、もちろん『麻薬』や、『武器』を『与える』のではないことはわかるはずだつまり、与えればいいというものではない。その与えたもの次第ではむしろ、 愛が『罪』になることもあるだろう。

 

東日本大震災のとき私は、 一体自分に何が出来るかを自問した。炊き出しのような真似をたった一回したところで、何が変わるのか。それは自己満足にしかすぎないのではないかそれを継続しなければ意味がない。だが、それを一生継続していくのが正しい選択肢なのか。

被災者の人生は被災者にしかわからない。私は東京で、体感震度6の環境にいたが、 他の東京の家族に電話したとき、あまりもの温度差に唖然としてしまった。まるでこちらが過剰反応しているかのように、それがその家族へは初めてに近いほどの電話だったのにも関わらず、あっけらかんとあしらわれてしまったのだ。

 

だが私は、人生で初めて、地震で死を覚悟した。 私でさえこうなのだ。 被災地の人は更にその上を行く精神状況だ。 家族を失った人も大勢いる。そんな彼らに、『彼らの心境を理解していない我々』が出来ることなど、 何一つない。 私の頭にはそういう考えがよぎった。

 

孔子は言う。

『本当の人助けは、金銭的援助よりも自立や夢の手助けをすることにある』

 

この言葉を聞いて、兼ねてから引っかかっていた、村上龍のカンブリア宮殿での編集後記でのこのコメントを思い出した。

『本当の支援は、働き口を用意する(雇用する)ことだと思う。』

 

 

我々は、何もかも解決して救済する、全知全能の神ではないのだ。我々が人の為に出来ることなど、限られている。そう考えれば、間違えた支援、教育を行うことはないはずだ。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

雍也第六-三十

仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。

関連する『黄金律

『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』

『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』

『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』

『「生きる」ということの本当の意味とは。』

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