偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
下足番、女工、事務員・女給などで転々と生活をし、自らの波乱万丈な放浪をまとめた自伝的小説『放浪記』で、こういうセリフがある。
「どんな男の人と一緒になってみても同じ事だろうと私が言うと、『そんな筈ないわ、石鹸だって、 十銭と五十銭のじゃずいぶん品が違ってよ』」
これについて例えば孔子は、下記に書いたようなことで同じことを言っている。(下記は私の孔子の言葉についてのまとめだが)
立居振舞に品を保つ
これについても、『見識』を養う過程の『精神の修養』で身につくはずのスキルだ。『上品』とは、『洗練されたもの』、『下品』とは、『品質の劣ったもの』。つまり、刀で言えば、丹精込めて刃を研ぎ、研ぎ澄まされた魂のこもった刀と、何年も手入れをしないで、雨ざらしにしておいたなまくら刀とでは、まるで刀としての切れ味が違うのと同じだ。品が出せないのは、己を磨いていない証拠である。
そう、同じではない。鍛錬を積み重ねて研鑽され、研ぎ澄まされた名刀と、手入れをしないで雨ざらしにしてたなまくら刀とを、一緒にしてはならない。もちろん、自分がその『なまくら』を磨き上げるつもりなのであれば、それで十分だ。しかし、『なまくら』と『名刀』を一緒にしてはならないということだ。『なまくら』に、『名刀』で在ることを求めてはならないし、『名刀』を『なまくら』のように扱ってはならないのだ。
パートナーを含めた人間関係を構築したいなら、自分の、『相手の”品”を定める目』が重要だと知るべきである。『品定め』と言うだろう。相手が”上品”なのか、”下品”なのか、その『品定め』をするのは、自分自身であるということを忘れてはならない。
”下品”でいいなら、下品同士でくっつけばいいだろう。誰も文句は言わない。だが自分が”上品”でありたいと思うなら、常日頃から”上品”で在る為に磨き続ける人間を選ぶのが、自分にとって最適な人間関係の選び方だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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