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紫式部『これが最後の別れと思うと悲しい。行きたいのは、死出の道でなく生きる道だったのです。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

偉人

運営者

ふむ…。

考察

『死出(しで)の道』とは、『終(つい)の道』ということで、人間が最後に通る道だ。人間が最後に通る道とは一体、どんな道だろうか。『最後の別れは悲しい』、『死出の道を通りたくない』。そんな言葉から垣間見えるのは『未練、執着』である。

 

ブッダは言った。

ブッダ

 

 

人が、人に未練を覚えるのは、当然のように思える。高畑勲の『かぐや姫』を観ると、この辺りの印象が一発でわかる。『人間は、未練があり、執着があって当たり前』ということが前提として、ドラマが繰り広げられていく。それを鑑賞している人間も、それを至極当然の様に受け止めて、全く違和感なく、作品の最後までその気持ちを維持し続ける。

 

だが、いよいよというラストシーンで、かぐや姫が月の使者に連れられて、『当たり前のように』世話をした老夫婦や、その他の人間がその別れを惜しんでいる中、使者たちは淡々とかぐや姫を連れ去ろうとする。

 

かぐや姫も、最後の最後まで地球に未練を残していた。どうしても、もう少し待ってほしくて、親代わりの老夫婦に最後のあいさつをしようと、使者のもとを離れ、三人で抱き合って別れを惜しんだ。

 

その時だ。

 

使者はかぐや姫の背中に羽衣をかぶせた。すると、あれだけわんわん泣いて騒いで別れを惜しんでいたのに、ピタリと表情が無になって、眉ひとつ動かさないまま、そのまま後ろを一度も振り返らずに、かぐや姫は月へと帰っていった。

 

 

私は映画館で初めにこの作品を観た時、この展開についていけなかった。ただただ不気味で、後味が悪く、意味不明であり、腑に落ちなかった。しかし、何か妙な違和感を覚えていて、そこに重要なカギがあるような気がしていたことは確かだった。

 

それから3年かけ、大の宗教嫌いだった私は、しかしこのままでは人生に悔いを残すと考え、『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

世の偉人たちの言葉と向き合う時間を作った。

偉人

 

それから、偶然テレビで放映された『かぐや姫』を数年ぶりに観ると、例のラストシーンの意味を、理解している自分がいたのである。その答えは、冒頭に書いたブッダの言葉が全てを語っている。これに関しては、各々がそのたった一度の人生で、めいめい答えを出したい。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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