偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
キリストの言葉でこう超訳したものがある。
伊達政宗も、
と言ったが、『些細な事=大したことないこと』だという図式を盲信する人間は、失墜する。何しろ、『確かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない。』のだから。 『一歩』を『些細であり大したことない』と思っている人間には、真珠や小判ではなく、穀物やキャットフードがお似合いなのである。
松下幸之助はこうも言った。
些細なことをおそろかにしてできた仕事など、プロの仕事とは言えない。素人の仕事である。そのことについて松下幸之助は、更にこう言っている。
松下幸之助の著書『続・道を開く』にはこうある。
モチはモチヤというけれど、どんな小さな仕事でも、素人はしょせん素人で、いかにそのわざが巧みでも、いわゆる玄人にはとてもかなわない。素人の仕事は、いわゆる器用さである場合が多いけれど、玄人のそれは一つの立派な職業である。その仕事によって、日々の糧を得ているのである。それで暮らしが経っているのである。ごまかしは一切きかない。そこに器用を超えたきびしさがある。のっぴきならない真剣さがある。
グズグズしてはいられない。グズグズしていれば一日の糧を失う。だから決定が速い。仕事が速い。能率がよくて正確である。速くて正確で能率がよいというのは、もちろん永年の修練の賜物ではあろうが、職業としての思いがやっぱりちがうのである。そこに尊さがある。
もっともお互いに、職業としてそれぞれの仕事を選びながら、思いもわざも、まだ玄人というところまでいってない点があるのではないか。まだ素人の器用さにも及ばない仕事ぶりしかしていないのではないか。今一度、反省してみたいものである。
自分の仕事ぶりが素人なのか、それとも玄人だとみんなに胸を張って言い切れるものなのか。自問するべきである。私もそうするつもりだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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