名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
神が存在するということは、どうしても首をかしげざるを得ない。『存在する』という概念が、認知しているそれと噛み合わないのだ。しかし、この世は神が創造したとしか思えないような事実がたくさん存在する。たとえば、もし130億年前に宇宙がビッグバンでによって始まったのなら、『その前』は一体なんだったのか、ということ。それに、この『宇宙の果て』には何があるのか、ということなどがそうだ。
アインシュタインは言った。
かつて、『科学1:宗教9』という時代があったときは、生贄、祟り、お祓い、魔女狩り、呪い、そして様々な神々がいて、人間はその怒りに触れないように、あの手この手を尽くした。今はどうだ。その割合がどんどん変わってきていて、実に冷静沈着に、『いや、あれは雷だよ』と言って説明がつくようになった。
割合はどんどん進化していくだろう。しかし、では、その延長線上はに、『科学10:宗教0』という時代が来るのだろうか。答えは『No』である。恐らくそれは、未来永劫できない。物理的な限界があるのだ。自分たちの時代が終わることは無い。そう考えていたのは、『恐竜』も同じだったはずだ。大恐竜時代を経て、大人間時代に突入して随分と時間が経った。しかし130億という数字が出ている。それに比べれば、人間の時代など、『神』の時間にして1秒もないだろう。
『人間の感覚』として、数十万年が『長い』と感じるだけだ。その感覚を過信し、だからもっと続くと考えるのは、まるで死から目を逸らし、(自分だけは死なないかもしれない)と期待する、人間の現実逃避に似ている。
神は『存在』するのではなく、『ある』という表現だったらどうだろうか。私はそれだったら、十分に『ある』と考えている。29年間両親からクリスチャンであることを強要されて、一時は親を宗教ごと呪って、死ねばいいと考えていた、大の『神』嫌いの私が、そう言っているのだ。
神が『ある』なら、『真理』と『愛』の説明がつくようになる。この、虚無たる混沌の儚い闇の中に、確かに光り輝くその存在はとても厳かであり、そこにはある一定の法則が存在すると考えた時、『闇、虚無、混沌』という計り知れない力にも負けない、強いそのエネルギーの正体は、『神(真理・愛)』であるという見解は、この私であっても、首をかしげない。
『科学』も『宗教』も『神』も、人間が作った概念に過ぎない。つまり、それらのいずれかに偏ってこの世を説明する日は来ないだろう。何しろ、その全てが混在しているのがこの世の中なのだ。
ニーチェは言った。
『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』
つまり、『科学』とは『記号(人間が認識できる論理)』であって、『この世の一切』ではない。人間が出来るのは、『神』という『圧倒的な記号』を創造して、この世を認識することだけなのかもしれない。それ自体を『科学』と言い、しかそれは単なる『人間の認識の拡張作業』に過ぎないのかもしれない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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