偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『世人は蓮の花を愛して泥を嫌がり、大根を好んで下肥を嫌がる。私はこういう人を半人前という。蓮の花を養うものは泥である。大根を養うものは下肥である。蓮の花や大根は、泥や下肥を好むことこの上なしではないか。世人の好き嫌いは、半面を知って全面を知らない。これまさに、半人前の見識ではないか。どうして一人前ということができよう。』
『下肥(しもごえ))とは、糞尿、肥料のことである。人々は、蓮の花や大根は好んでちやほやするくせに、その肥料となる下肥に対しては、軽蔑の目を向ける。『臭い』し、『汚い』からだ。そして蓮の花や大根は、『綺麗』だし、『美味い』。自分にとってメリットがあるものを高く評価し、デメリットになるものを低く評価する。それが人間の心理というものである。
しかし、二宮金次郎の言う様な視点を一つ持ちたいわけだ。その『下肥』がなければ、それらのメリットになるものは、育たなかった。だとしたら、その下肥には、価値がある。そう考えると、世の中の、例え石ころの様な無意味に見える物でも、全てに意味があるように思えてくるはずだ。
『エネルギー不変の法則』というものがある。この世は、人が死んでも、物が燃えても、形が変わるだけで、エネルギーの総和は変わらないのである。だとすると、がれきも排泄物も、ゴミも石ころも、枯れた花も草木も、全て同じ、『エネルギーの一つ』ということになる。
思慮をここまで潜らせれば、この世に対する見解の仕方も、大きく変わってくるはずだ。今日、飲んだその泥水の辛酸の味は、明日、食べる食事の味を、最大限に引き立たせる。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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『この世に価値のない人間などいない。いるのは価値がわからない人間だけだ。』