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ニーチェ『論理は完全な虚構の見本である。』

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ふむ…。

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考察

『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し、論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』

 

 

『虚構』とは、事実ではないものを、事実らしくつくりあげること。ニーチェが考えているのは『ニヒリズム(虚無主義)』な、元々この世は『虚無(何もない空間)』であるという発想である。仕事も、家族も、法律も、会社も、お金も当然、『愛』とか『真理』とか『神』ですら、人間が勝手に創り上げた概念である可能性がある、というのだ。

 

ニーチェはこうも言った。

 

この言葉からも、ニーチェがどういう発想をする人間かが、垣間見えるのである。前述した概念も、全て人間が創った名前であり、例えば『火』を、『火』と命名したのも人間である。

 

 

我々はこの、温度の高い燃えるエネルギーを見た時、『火』というネーミングをつけることで、その物体の認識を容易にしている。

 

(あ、火だ。)

 

これで終わるのである。こういうイメージで、一切の森羅万象に対し、認識を容易にする工夫をした。その中には、仕事も、家族も、法律も、会社も、お金も、『愛』も『真理』も『神』もあることになる。ここまではいい。だが、この世には、どうも人間の理解の範疇を超えたエネルギーがうごめいているような気がすることがあるのだ。

 

それは例えば、アインシュタインが言ったように、

 

 

ということなどが顕著な例である。

 

例えばだが、乱立している宗教と、それによって引き起こされる戦争。それはいつまで経っても終わることが無い。また、この無限に広がる大宇宙。一体この先に何があるのか、なぜ存在しているのか、把握することが出来ない。そう考えると、『答え』、つまりここでいう『論理』とは、『その場しのぎ』である可能性がある。

 

その場しのぎとは、一時的な応急処置だ。精神が崩壊してしまわないように、『理解する』ことで、安堵を得る。生きている意味や、生きていく意味を見失い、鬱に陥り、虚無感に支配されないように、応急処置をする。そんなイメージが一つ、頭をよぎるのである。

 

 

しかし確かに、聖書の『伝道者の書 5章』にこうあるように、

『見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』

 

我々は、『限界効用の逓減』の仕組みをきちんと理解したとき、仕事終わりに飲む一杯目のビールは、とても美味しい、という事実が間違いなくある。『虚無』でも『虚構』でも何でもいいが、私はただ、その『一杯目のビール』を飲むために毎日を全力で生きることや、子孫に命を繋いでいくその生命の姿は、とても崇高に見えるのだ。

 

ドイツの小説家、トーマス・マンは言った。

 

我々は虚無の中にいる、有限であることは事実だ。そして、有限だからこそ光り輝く、価値があることも事実だ。我々は、そんな人生を生きている。我々は過去、未来永劫において、たった一度の人生を生きているのだ。私はそのことを考えた時、甚大なエネルギーが心底から湧き出るのを感じる。そのエネルギーが、『虚無』だとは思わない。私は『意志』だと思うし、『意地』だと思う。たった一度の人生を生きた、『証』だと思う。

 

 

MEMO
※この文章は全て運営者独自の『名言を通した見解』です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
運営者 一瀬雄治(Yuji ichise.)の半生

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