偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
人間が賢い生き物だと自画自賛しているのか、あるいは、『愚か者の様に振る舞うことが出来るのは、人間だけだ』と、生物学的な話をしているのか、というところがポイントだが、この言い回しなら、恐らく後者である可能性が高い。例えば、『猿の惑星:創世記』等を見ると、脳が発達した猿たちが手話を使って、普通の猿とは一線を画すコミュニケーションを取り、自我が発達したことにより、人格の個性も際立ってきて、私利私欲や『力』への執着が強くなり、ついには人間達と衝突するというストーリーなのだが、そこでとある猿が取った行動が、『人間に対して馬鹿な猿であることを演じる』というものだった。そして、人間がサルを小ばかにして油断した瞬間に、人間の銃を奪い取り、形勢を逆転させる。その後、人間はたちまち射殺されてしまった。
あの光景を観ていて思ったのは、妙な『違和感』だった。その違和感の正体は、シュバイツァーの言うように、『愚か者の様に振る舞うことが出来るのは、人間だけ』のはずなのに、この映画では、その常識をついに超えてしまった動物が現れた、というものだったのである。そう考えると、やはり人間というものは独特であり、知的な動物だ。これはもしかしたら、他の動物がそうしているように、生き延びる為の、人間特有の『擬態』なのかもしれない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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『耐え忍ぶことができる人間でなければ、大局を見極めることは出来ない。』