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シレジウス『薔薇はなぜという理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。 薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

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考察

私はこの言葉について、独特の感想を持つ。ソクラテスが、『アブを買って出た』ことについて考えた後に浮かぶことだ。確かにシレジウスの言う通り、薔薇のように、生きている意味を葛藤せず、理不尽に思わず、虚しさを覚えない存在なら、我々は『戦争』などしないだろう。

 

だがするではないか。

 

戦争

 

その時点でもう、我々は『薔薇』ではないのだ。シレジウスの言葉は本来『人目を気にするな』という意味だが、今回の捉え方はこうだ。

 

薔薇はそうだ。だが、我々は薔薇じゃない。では、隣で罪のない子供が理不尽な暴漢によって襲われるまさにそのとき、薔薇は何をする?そう。『薔薇は何故という理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。ひとが見ているかどうかも気にしない。』

 

薔薇

 

何と残酷なのだろうか。綺麗なように見えるのは、『自分だけが生きている場合のみ』だ。しかしソクラテスは『アブを買って出た』わけだが、だとしたらそれは、シレジウスの言うとおりに行動したのだ。

 

自分らしく行動した。自分が信じた知性を、貫いた。そこに人目や、大衆の意見は関係なかった。人間が本来生きるべき『真理に従って生きる人生』に忠実に、生きただけなのだ。それがソクラテスの人生だった。この答えのない混沌とした矛盾だらけの人生。多様性がある(どう生きるか悩んでしまう)のは、むしろ贅沢なのかもしれない。

 

作家、五木寛之氏の著書『大河の一滴』にある、この一文を見てどう思うかだ。

あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。『冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ。明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるな、とシラミたちを歓迎する気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣の仲間にその死人の持ち物、靴や下着や腹巻や手袋なんかを分け合う権利があったからね。』

 

人が死に、そこに居たシラミが自分に移ったら心が弾む。そんなことが当たり前だった時代があることを考えると、いささか、我々はシレジウスの言う様に、生きているだけで丸儲けなのかもしれない。

 

 

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『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』

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『『生きる』ということの本当の意味とは。』