偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
追い求めても、追い求めても、まるでアキレスと亀のごとく、あと一歩のところでそれを取り逃がす。だとすると、もしかしたらその初期設定自体が、間違っているのかもしれない。
(画像)
例えば、ジョン・スタインベックが言ったのはこうだ。
『天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である。』
しかし冒頭に書いたような人物は、『山頂』の方を目指してしまっている。それでもし、そこを登ったとしよう。それは賞賛に値する。往々にしては、その山頂へは努力なくしてはたどり着けない。しかし、努力しなくてもたどり着けるケースもあるだろう。例えば、倫理的な問題を無視し、ズルをしたのだ。それならば、山頂についたところで、その喜びは刹那である。『膨張』と『成長』は違うのだ。私の周りでも、一体どれほどの人間が、その違いを理解出来ず、崖から転落していったことだろうか。逮捕者など、当然のようにその中にいるのだ。
また、ショーペン・ハウエルは言った。
『山頂』を目指してばかりいる人は、一生喉の渇きを訴え続けるかもしれない。
(まだ足りない。まだ足りない。)
そう考えると、初めから『山頂を登るべく初期設定』に目を向けた方が、賢明なのかもしれない。
ブッダは言った。
ソクラテスならこうだ。
そして、ドストエフスキーは言った。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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