偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『調和』というのは、不仲なく、スムーズに、和気あいあいとしていて、意見が一致しているという意味である。考えたこと、喋っていること、実際にしたこと、この3つが『調和』しているならば、自分の心は充足感で満ちている。しかし、考えたこととは違うことを喋ってしまったり、あるいはしてしまうことが、人間にはよくある。そういうとき、自分の心は(失敗した)という後悔の念で満ちているだろう。そう考えると、
(お風呂上がりにヨーグルトを食べたいなぁ)
と思い、
と言ってコンビニでヨーグルトを買い、実際にお風呂上がりにヨーグルトを食べる。 これだけで、人は幸せになれるのである。これが簡単でわかりやすい例だ。
では例えば、ルソーのこの記事に書いたような、
『手をあげられなかった時期の自分』は、どうだろうか。その3つが、調和しているだろうか。しているなら、なぜ『あげられなかった』などという言い回しになっているのだろうか。そして、なぜ最後に、『私の人生はあの時から始まった』と締めくくっているのだろうか。
『君が考えること、語ること、すること、その3つが調和しているとき、そのときこそ幸福はきみのものだ。』
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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