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ネプチューン国王『我が妻を殺した者を…!!!なぜブチ殺してはならんのか!!!わしには到底わからんのじゃもん!!!!』

私もよく同じような葛藤をした。例えば自分の身に理不尽なことが起きて、 それに対する仕返しをしてはならない。 それが強いられる人生なら、こんな人生に未練はない。 命を賭して仇討をし、この世から潔く去る。 そういう考えがよく頭をよぎった。 もちろん同じくらい『そんなことして死んだあいつが喜ぶと思っているのか』 というセリフも、よく頭をよぎった。

 

人一倍波乱万丈な生き方をしてきた私だが、 さすがに『そういう場面』は(少なくとも今のところは)なかった。 いや、 なかったのではない。私がおそらく、『避けていた』のだろう。『そうなってしまったら』自分でもどうしていいか、わからないからだ。拉致被害者が訴え続ける様子や、 あらゆる事件の被害者が悩み苦しむ様を見てきてその気持ちは更に深まるばかりだ。

 

(私ならどうするか?)

 

自分でも、自分でいられなくなるような気がして、 心底の部分ではそれを『避けてきた』のかもしれない。 だから今こうして、生き(ながらえ)ているのかもしれない。 私の周り、それもたった一歩という差のところでは、 この仇討という負の連鎖にハマり、どん底に落ち、 あるいは人生を棒に振った人間がいるからだ。

 

wikipediaには『敵討ち』という項目でこう記されている。

『日本書紀』巻十四雄略紀には、456年(安康天皇3年)に起きた「眉輪王の変」の記事があり、これが史料に残る最古の敵討事件とされる。眉輪王の義理の父にあたる安康天皇はかつて眉輪王の父である大草香皇子を殺し、母である中磯皇女を自らの妃とした。安康天皇はある日ふとその事を漏らし、それを聞いた眉輪王は安康天皇が熟睡しているところを刺し殺した。事件後、その動機を追及された眉輪王は「臣元不求天位、唯報父仇而已」(私は皇位を狙ったのではない、ただ父の仇に報いただけだ)と答えている。そ

 

の後仇討ちは武士階級の台頭以来広く見られるようになるが、江戸幕府によって法制化されるに至ってその形式が完成された。範囲は父母や兄等尊属の親族が殺害された場合に限られ、卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められない。又中世の血族意識から起こった風俗であるので、主君のように血縁関係のない者について行われることは少なかった。武士身分の場合は主君の免状を受け、他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取る。無許可の敵討の例もあったが、現地の役人が調査し、敵討であると認められなければ殺人として罰せられた。また、敵討をした相手に対して復讐をする重敵討は禁止されていた。

 

また、 引用元を失念したが、とある文献にはこうあった。

今からおよそ350年前、 明暦元年(1655年)に、幕府が公布した『江戸市中法度』によれば、 不倫は男女同罪とされ、夫は、 密通した間男をその場で殺してもよいと定められていた。 じっさい、妻を寝取られた武士が現場を押さえた場合は、 即座にその不倫相手を斬り殺すことも許されていたのだ。 さらに、寛保2年(1742年)の『公家方御定書』でも、 不倫した妻と相手の間男は死罪とされた。男は裸馬に乗せられて市中を引き回しのうえ、 斬首した首を刑場で三日間さらす獄門。 女は斬首の刑に処されることになった。 当時の川柳にも「枯れ木の枝と間男は登りかけたら命がけ」と詠まれている。

 

そしてソクラテスは『悪法』によって殺された。 正当防衛は許されて、過剰防衛は許されない?私的な仇討は認められず、公的な制裁を求めるしかない? 本当にそれで、全てが解決するのだろうか。もしかしたら我々のこの『違和感』の正体は、 『真の正義感』なのかもしれない。

 

『─だが 我が妻を殺した者を…!!! なぜブチ殺してはならんのか!!! わしには到底わからんのじゃもん!!!!』

 

生命として、仇討や復讐は当たり前だが、 しかしそれを行っては人間ではなくなってしまう。 だが、『それを無視しても』人間ではなくなってしまう。そういうギリギリのところで今この瞬間も人間の『正義』は、 どうであるべきか、その在り方が、揺り動かされている。 この映画を観て一度このテーマについて向きあう必要がある。

 

『ブレイブワン』。

 

結婚を間近に控えたある幸せなカップルが、 理不尽に、夜の公園で暴行された。 彼女は重症で入院し、彼氏は息を引き取った。何とか生きのびた彼女だが、生きる希望を失った。生きてる意味を、葛藤した。怖くて外に、出歩けなくもなった。 やり場のない心。珍しくもない一事件として淡々と済まされるニューヨークの日常。 意を決して相談しようとした彼女の気持ちを無下にし、 事務的に対応する警察。 そして彼女は決断した。 途中出会った正義感溢れる『法律者の刑事』との間に生まれるヒューマンドラマが、 この映画の演出を、何倍にも何十倍にも跳ね上げる。 彼女がとった行動は?

 

この映画のキャッチコピーは、

『あなたはジョディ・フォスター(彼女)を許せるか?』

 

もっとも、彼女は人に許してもらおうなどとは思っていないだろう。自分が許せなかっただけなのだから。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。