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ナミ『助けていいんだとわかった時のあいつらの強さに限度なんてないんだからっ!!!!』

人間の能力には常にリミッターがついていて、それは、『理性』と表現して、大差ない。原付にはリミッターがついていて、60kmしか出ないようになっているが、リミッターをカットすれば100kmのスピードを出せるようになる。また、『火事場の馬鹿力』では、究極の状態に陥った時にリミッターが外れ、五輪選手級の運動能力を発揮する。とにかくリミッターという概念があり、その、 “理性”がはたらくとき、あるいは、 “緊張”する時、 “アウェイ”にいると感じた時、人は100%の力を出し切れない。もっと言えば、いくらそれらを全て支配したとしても、『フロー状態』、『ゆらぎ』といった現象がつきまとうから、イチロー、ジョーダン、ウッズ等、超一流の人間とて、『能力の顕在化(ベストパフォーマンス)』をすることは、常に難しいテーマだ。

 

これらのテーマについて私はすぐに思いつく話がたくさんあるが、自身の体験の中から、二つここに書こう。だが、かなり過激な内容になるため、18禁だ。

 

一つは、今から15年も前、不良だった中学生時代の話だ。ある日我々はとある因縁によって、不良グループと喧嘩になった。こちらから先にけしかけたのだから、責任はこっちにあった。その仕返しとして、数人の不良が、街中で金属バットを持って襲撃してきたのだ。とっさのことで我々はすかさず逃げたが、私だけモタついて捕まってしまったのだ。

 

私は運動神経は悪くない。むしろ良い方だ。なのに、なぜモタついてしまったのかは、言い訳がましいので書かない。(今回のテーマには関係のない理由である。)興奮していたからか、アドレナリンが分泌していて、助走をつけて(素手で)思いきり殴られたのに、全然痛くなかったのはいいが、身を任せてしまい相手の陣地に連れてかれると、そこには更に10人を軽く超える不良が、金属バットや、武器を持って待機していた。私はそこで、死を覚悟してしまった。そしてその後、別の場所に連れて行かれるのだが、その移動手段が原付で、二人きりでの移動だった。

 

問題はここである。もし私が、喧嘩上等、暴力万歳の外道、悪党の不良で、ゆくゆくはヤクザになり、あるいは戦争を好んで右翼や過激派になり、アウトローとしての生き方を貫くこと、魑魅魍魎の世界に生きることを覚悟していた人間であれば、だから不良をやっていたのであれば、私を乗せて運転していた相手の首を絞め、逆に相手を人質にとり、喧嘩をそれ以上に発展させていただろう。だが私が不良だったのは、そういう理由では無かった。喧嘩の発端も、私ではなく、別の悪友が作ったものだった。私は、当時から葛藤していた。

 

(俺は、どういう生き方がしたいんだろう。邪魔する奴はうざいけど、殴るほど、ましてや殺すほど憎めないし。考えることをやめたから、わかんねえや。俺はただ、自由になりたかっただけなんだけどなあ。)

 

不良行為は、法律からさえも自由になれた気がして楽しかった。でも、人を傷めつけたり、ましてや殺したり、そういうことは最初からするつもりはなかった。(ただ、男として情けない人生だけは”心底”嫌なので、その後の私はボクシングも剣道も”真剣に”習うし、トレーニングを欠かしていない。)中学生の未熟な精神状態では、自分の行いの矛盾や葛藤を解決することは出来なかった。その後私は抵抗をせず、解放された。その後の展開は今回のテーマと関係ないから割愛するが、ただ、この体験で強く言えるのは、人は、迷いがあると、身動きが取れないということである。何をしたらいいか、自分は何をするべきなのか、どうすれば最善なのか、不明確だから、身体が硬直して、動けないのである。

 

もう一つは、それから数年後の話である。不良として生きる自分の弱さに気付き、 “更生”の意味を知り、それに向かってやる気を出し始めた時期だ。そうは言っても、まだまだ最初は”真面目”になるのに抵抗があった。”真面目”に生きるのは、何か『ダセえ』とか、そういう感情があって、抵抗があった。例えば、意見を求められた時、率先して手を挙げるのに抵抗があった。それまではそういう時、率先して手を挙げ、意見をする動機が見当たらなかった。なんか『ダセえ』気がするし、まず考えるべきことが他に山積みだから、毎日目の前に積み重ねられる授業や、説教や、問題に、主体的に取り組み、自主的に手を挙げ、意見できなかった。意見する気にならなかった。

 

だが、その時の私には、他に選択肢がなかった。今の現状から抜け出すには、『慣れ合い』や『現実逃避』ではなく、『不良行為』でもなく、『更生』することだと悟っていた。『更生』という字は、『更に生きる』と書く。いろいろなことがあった。失敗もした。後悔もした。でも、それでもここから更に、生きていかなければならない。決してくじけず下を向かず、前を向いて生きていく決意をすること。それが、『更生』するということなのである。『更生』という言葉は嫌いだった。何か、今の自分が否定されていて、その人格を強制的に変えろと命令されているようで、抵抗があった。でも、偉大な恩師がそう教えてくれて、私は更生を決意できたのだ。

 

(それだったらできる。それが更生なら、出来るよ。)

 

迷いがなくなった私は、率先してそれに必要な手段を取る様になっていった。本を読み、運動をし、内省をした。皆が、以前の私と同じような理由で手を挙げない場面では、積極的に率先して手を挙げ、意見をした。もちろん最初は、とても緊張した。涙目になった、手は震えた、何と言われるかを怯えた。だが、意見をした時気付いたのだ。『初めて、生きていることを実感している』と。『人目を気にせず自分の意見を言うことで、初めて俺は、この世に存在することが出来たのだ』と。迷いがあれば、人は身動きが取れない。

 

よく目を凝らして学園物のドラマを観ればわかる。学園物のドラマでは必ず不良少年や、問題児が扱われるが、彼らが前を向いて更生するとき、必ず先生は、頭ごなしに勉強を強要していない。彼らの抱えた家庭内での悩みや、試練について、家族や学校を巻き込み、体当たりで、情熱的に、ときには自分の首を覚悟して、彼らと真正面から向き合っているのだ。だから彼らは、自分のことを本気で考えてくれる先生に心を開き自分ではどうしようもないから蓋をしていた、心に抱えた悩みを解決することが出来、目の前に日々現れる、勉強や、問題に対し、向き合うことが出来るようになるのだ。それこそが、本当の教育なのだ。そういうことを理解しないで、教育者を語ることはできない。

 

『これからロビンを奪い返すのよ!!!迷えばだれでも弱くなるもの助けていいんだとわかった時のあいつらの強さに限度なんてないんだからっ!!!!』

 

あなたの部下や後輩、または、生徒、子供を教育するとき、このことを思い出してほしい。必ず大きな叡智として、問題の解決に役立つだろう。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。