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サンジ『オーナーゼフ!!…長い間!!くそお世話になりました!!』

人間には感情がある。喜怒哀楽があり、実に幾多の表情を見せるものである。また人間は、他の動物や生命とは違って、『自分の生きている意味』を考える。

 

byシレジウス

 

脳科学でこのことを考える時、自分で自分のことを考える、自分の脳で自分の脳のことを考える、『無限』という概念を認知する等の発想のことを、『リカージョン』という。このリカージョンが出来るのは、おそらく地球上では人間だけだと言われている。つまり、数え終わることの無い『無限』の個体を想像したり、『不老不死』という概念を想像することも、リカージョンが成せる想像である。『無限』が想像できるということは、『有限』も理解できる。そう、人間とは、『有限』が理解できる、唯一の動物でもあるのだ。

 

『有限』が理解るからこそ、人間の行動には『矜持』が生まれてくる。例えば、『打ち上げ花火』は、一瞬で、『有限』であるが、その一瞬の『華』には、多くの人々が魅了される。だがこれがもし、『無限』に打ち上げられている花火だとしたら、人々は、『有限』のときよりも価値を低くし、見向きもしなくなる。

 

例えば、サハラ砂漠で遭難し、生と死をさまよっているとき、オアシスに池の水を見つけたら、涙を流して水に感謝するが、先進国の都会の真ん中に、川や水たまりがあったところで、人々は気にも留めない。このように、人は、『無限』と『有限』とで価値を差別してしまう、唯一の動物だといえるのである。だからまずは、この世のすべてが『有限』だと自覚することから、人間は地球のリーダーとしての、『矜持』をもつことが出来るのである。

 

さて、人の『矜持』とは、『有限』だから生まれると言ったが、例えば命が『無限』だったり、時間が『無限』だったりすれば、おそらくこの世には、秩序など存在しないだろう。悪質な科学実験や、核戦争をいくら巻き起こしても、人は死なない。全ての法律やルールは、人の命や、心を尊重することが根底にあるわけで、そうなると、そういった法律やルールは、必要なくなる。『大切にしなければいけない命(有限)』その自覚が心の根底にあるからこそ、人は、人で在ることができるのである。

 

『堰(せき)』とは、ダムや川で水の流れを止めている壁や、板のことであるが、人間は、その『喜怒哀楽』の感情に、常に自分なりの理性で、『堰止め』をして、その情緒を安定させている。なぜ『堰止め』をする必要があるのだろうか。それは、この世が自分一人で成り立っているのではなく、他の人間も、動物も、生命も存在するからである。

 

『堰止め』をせず、『情緒不安定』になれば、他の生命の存在を脅かす、『脅威』になりかねないのだ。この『堰止め』こそは、『有限』の概念を理解している人間だけができる、『リカージョン』という、想像力が成せる、理性であり、『矜持』である。

 

新渡戸稲造の著書、『武士道』の『礼』の教訓にある、

『自己の悲しみ、苦しみを外面に表して他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。』

 

という、世界に誇る”武士道精神”が崇高に見えるのは、その背景に、リカージョンが成す、こういった『有限への配慮』に、重きを置く精神があるからなのである。

 

だが、これらを理解している、そういう『矜持』をもつ格式高い人間たちでも、どうしても、自分を抑えられない(堰止めが外れてしまう)ときがある。

 

『行こう』

『いいのか?あいさつ』

『いいんだ』

『おいサンジ』

『カゼひくなよ』

『オーナーゼフ!!

 …長い間!!くそお世話になりました!!

この御恩は一生…!!忘れません!!!』

 

それは、『他の有限』の為に、一滴もその『堰』から水が漏れないように、抑えて、抑えて、抑え続ける強い人間達の間にしか生まれない、高潔で、崇高なドラマの、ワンシーンなのである。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。