Contents|目次

チョッパー『いくらドクターがお前らを許しても!!!ドクターの生き方を笑ったお前らをおれが許さない!!!!』

いきなり物騒な話になって悪いのだが、私は以前、覚せい剤中毒の人間に、アイスピックで腕を刺されたことがある。それは、道路の真ん中に車を停めていたからクラクションを一回鳴らしたところからはじまった。二回も三回も鳴らしたわけではない。執拗に長く鳴らしたわけでもない。だが、相手は車をどかすことなくニヤニヤしながら車の中からゴソゴソと何かを取りだそうとしているのだ。

 

瞳孔が開いて、動きや行動ですぐにシャブ中だとわかったため、相手にしないようにしたが、しつこく追いかけてきてくる。そして、そいつから逃げる為に思わず車の確認をせず車線変更しようとしたとき、違う車に衝突しそうになってしまったのだ!目の前には、罪のない若い男女が、急に飛び出してきた私の車を見て、死にそうなくらい驚いている。私は何とか急ブレーキで衝突を避けることが出来たが、その瞬間に思った。

 

なんで俺が逃げなきゃなんねーんだよ。なんでこの人達を巻き添えにして、危うく大事故を起こさなけりゃなんねーんだよ。全部こいつのせいだろうが!!

 

めったにないが、”キレた”私は、そいつを半殺しにするつもりでドアを開けようとしたが、その瞬間、シャブ中はアイスピックを振りかざし、ドアを開けるやいなや、どこを刺してくるかわからないような興奮状態になった。相手もこっちが三人いるから、深層心理では”怖い”から武器を持ったのだろう。私は瞬間的に”キレて”、更に次の瞬間には悟った。

 

こいつのせいで危うく関係ない人の命を危険にさらすところだった。もう許さねえ。だが、クラクションを一回鳴らしただけでアイスピックを振り回す。こいつの目は、明らかに異常。シャブ中だ。何も怖くなくなっている状態。目を刺され、失明したら一生が台無しになる。

 

後ろに乗ってる先輩二人が動いたら自分も動く動機ができるが、驚いてしまって動かない。男のプライドとしてこいつに立ち向かうか、あるいは、ドアを閉め、逃げるか、どっちを選択するべきか。

 

とりあえずパワーウィンドウを閉めることを決断すると、閉まり切る前に、奴は空いた窓から私の腕をアイスピックで二回ほど突き刺した。私は鍛えていたから、正直強く”つねられた”程度の痛みでしかなかったことも、その後の選択肢を取った理由の一つだ。

 

こっちは車内、あっちはアイスピックを持って徒歩で外。窓が閉まり切ると目の前の道路には、信号が変わりすっかり車がいなくなっていて、いつでも逃げることができる。アクセルを踏めば、もう簡単に逃げることが出来る。だが、逃げたらケンカを売られて、刺されまでもした男のプライドはどうなるだろうか。

 

プライドの塊のような私が判断したのは、『逃げる』という選択肢だった。怪我をしたのは私だけ。それも、大した傷じゃない。もし降りて喧嘩することになれば、残りの奥手な二人も巻き込むことになり、彼らが刺されたら、一大事だ。もう自分事では済まない。それに、あの時命を奪いそうになった無関係の男女の顔。あれが焼き付いて離れないあと一歩間違えていたら私は、取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。自分のプライドだとかなんだとかっていうくだらないことにこだわって他人を巻きこんでしまったら、私は、自分のことを二度と好きになどなれないだろう。『誇り(プライド)を守る為』などと、二度と言えなくなるだろう。

 

相手も異常だ。逃げることで、自分のちょっとの流血と、ちっぽけなプライドが傷つくだけで済むのであれば、逃げよう。私はそう決断した。そして大事には至らなかった。あまり遠くに逃げるのも癪なので近くの焼き肉屋で食事をしていると、暴力団の抗争だと思った警察が、すぐに駆けつけ、事情聴取。私が

『別に訴えないんで、いいですよ』

 

と言うと、逆に私を(表沙汰にしたくない理由があるのか)と一瞬疑ったようだが、私としては、『逃げる』選択肢を取っておいて、警察(他人)にケツを拭いてもらうのは、情けないと思っただけだ。自分が我慢すればいい。何もなかったと思えばいい。腕の流血を見て、

『破傷風の恐れがあるから病院には行っておいた方がいいよ』

 

と警察は言ったが、それも別に、ハチに刺されたと思えばいいのだ。男として、とても難しいシーンだった。でも私は、英断できたと思っている。だが、もしあの時、私ではなく、同乗している先輩が刺されていたら、あるいは、無関係の男女を傷つけてしまっていたら、私には選択肢は一つしかなかっただろう。

 

人が怒るタイミングは、自分が傷つけられたり、自分の夢を笑われたりしたときではない。確かに、自分がそうして嫌な目にあったら、傷つくだろう。だが、『自分の為に怒る』というのは人として情けない。どちらかというと『怒る』というよりも『失望』や、『悲しい』というぐらいにとどめておいた方がいい。自分一人が笑ってこらえれば、争いは起きない。そういうときはぐっとこらえて、そのときに溜まったそのエネルギーを糧に、結果を出し、有無を言わせなくしてしまえばいいのだ。

 

その場で言い返しをしたり、暴力でねじ伏せようとしてしまっては、 “負け”てしまう。自分をバカにされて感情を乱してしまうのは、器の大きさを疑われてしまう。そういうことをする人間は、理解者でも何でもなく、自分にとっての敵なのだから、 “相手にしない”のが一番。 “相手にしない”というのは、簡単なようで一番難しい。感情を逆なでされるようなことをして、冷静沈着でいられるのは、強い自律心がなければできない。だが、”力に屈しない”とは、そういうことである。

 

キリストは言う、

『あなたの敵を愛しなさい。』

 

孔子は言う、

『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』

 

生きていればそういうこともある。そういうときは、ぐっとこらえて、悲しまずに、逆にこう思えばいい。『これでまた一つモチベーションが増えた。お前らのように人の足を引っ張る”足かせ”はまるで、”テンション(ゴムの張り)”だ。引っ張ってくれればくれるほど、俺は遠くへ行ける。』これで、自分のことへの問題は解決だ。

 

だが、自分ではなく、人が傷つけられた時、それも、大切な、尊敬する仲間や、家族が傷つけられた時は、『怒る』タイミングだ。

 

『一人ぼっちのお前が何のためにこの国を救おうってんだ!!!笑わせるな!!!』

『…もう迷わないぞ…!!!おれの名前は『トニートニー・チョッパー』!!!世界で一番偉大な医者がくれた名前だ!!!!いくらドクターがお前らを許しても!!!ドクターの生き方を笑った お前らをおれが許さない!!!!』

 

人生は難しい。なるべくなら、怒りたくない。笑って楽しく、過ごしたい。だが人生を真剣に生きていると、怒らなければならない場面に直面する。人生を、真剣に生きていない人間を見た時だ。仲間や家族の夢を、命を、笑われた時だ。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。