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ドストエフスキー『金こそは、取るに足らぬ人物を第一級の地位に導いてくれる唯一の道である。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

私は無宗教だ。しかし、聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。

 

…思えばドストエフスキーのこの言葉に出会ったとき、私はこの言葉に潜む『魔性(ませい)』というウイルスに感染してしまったのかもしれない。いや、実際にはこの言葉が『暴発のきっかけ』になってしまったのだ。

 

ウイルス

 

私は金が嫌いだった。それは、幼少の頃からそうだった。金に執着する人間は無様だし、器が小さく、人としても正しくない在り方だと考えていた。しかし、大学に行くために金が必要だった。目標の無かった私は、とりあえず自分にとって最も過酷で困難を極める、『勉強』という分野の、『司法試験合格』という過酷な道のりを選択し、弁護士への道を目指すために、ひとまず大検を取るため、勉強をした。

 

しかし相変わらず私には、『それどころではない問題』が、頭をいつもちらついていた。家庭内の、信仰の問題である。

 

クリスチャン

 

その為集中力は常に欠けていた。試験に落ちてしまった。そして、追試の試験を受けるのに40万円払った。すると全く同じ問題がテストに出て、再試験を受けて、当然受かった。私にはそれが、 『裏口入学』と同じ類の、気色の悪い現実だと思った。そして大検を取ったのに、大学へは行かなかった。

 

何という無駄な時間と出費だっただろうか。その金は親が出したのだが、私はそのことについても、納得がいかなかった。これからも、何か試練の壁にぶつかるたびに、こうして母親が金を出し、『親と金』に助けられていくのかと思うと、何もかもが嫌になった。

 

とびきり裕福ではない家庭だが、貧乏というわけでもなかった。しかし別に私が自由に使えるお金など全くなかった。私は親に金を出してもらう以上、親の言う事を聞かなければ肩身が狭い思いをすることになった。

 

まず何よりも、クリスチャンにならなければ、この家の人間として認められなかった。こんなにも生きていて息苦しいことはない。母は愛していたからやっていたことだった。だが、私は母を、自分の『意志』を殺そうとする人殺しと見間違うことも稀ではなかった。

 

私はこれ以上、『金と親』に支配されて生きていきたくなかった。『弁護士になる』とかそういうことは最初からどうでもよかった。私は、ただ難しい道を選択していただけだった。それは、他にやりたいことがなかったからだ。

 

そうしてもがき苦しんでいる間に、ついに私はやりたいことを見つけたのだ。それは、『金と親に支配されない人生を送る』ことである。

 

支配

 

そして家を出て、拝金的な人生の道を歩き始めた。そして、ドストエフスキーのこの言葉に出会ったのだ。その時の年齢は、19歳。私はこの言葉を見て、こう思った。

 

金だよな。やっぱり、金だよな。あの時の試験だって、金があったから受かったんだし、あの大検の学校も、金があったから入学できた。勉強は大してちゃんとやっていなかった。

それなのに受かったという事は、実力があったのは俺じゃない。金だったんだ。

 

別にその試験のことだけではなかった。他のありとあらゆるケースでも、同じような葛藤を覚えていた。何の実力もない人間が、『金がある』というだけの理由で、『権利』を欲しいままにしている。人格が捻じ曲がった人間が、どれだけこの『金』によって越権行為を働いてきたのを見てきたことだろうか。

 

私は考えた。

 

別に将来に夢はない。だが、自由に生きていきたいという気持ちは人一倍ある。人一倍自由に行動する為には、やっぱりお金が必要だ。まずは金だけを追求しよう。手段は選ばないでいいんだ。倫理なんて関係ない。

ドストエフスキーの言う様に、何も結果を残していない俺だけど、金さえ掴んだら世界が変わるだろう。親に今までの養育費をすべて支払えば、親との問題も、もう考えなくて済むようになる。

 

それでいいんだ。それがいいんだ。ひとまずそれだけ、考えればいい。

 

…思えばドストエフスキーのこの言葉に出会ったとき私はこの言葉に潜む『魔性(ませい)』というウイルスに感染してしまったのかもしれない。いや、実際にはこの言葉が『暴発のきっかけ』になってしまったのだ。

 

ウイルス

 

私はそれから、拝金的な人生を生きた。そしてしばらく失敗を積み重ねた。私は知らぬ間に、ドストエフスキーがこの言葉で揶揄する『軽薄な人間』に、成り下がっていたのだ。それに気が付くことが出来たのは、

 

『その道を歩く私が出会った金持ちが皆、取るに足らぬ人物だった』

 

からである。私も含めて。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

 

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