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キリスト『愛は罪を覆う。』(超訳)

キリスト教の礎 イエス・キリスト

内省

『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり、人間には『聖性』と『魔性』があり、それはいわゆる、『天使』と『悪魔』である。ここでいうなら、『愛』と『罪』だ。自分がいかに聖人だと思っても、頭の中で人妻や妻のいる男と肉体関係を持ちたいと思うことがあるが、それでも自分は聖人だと言えるだろうか。それとも『そんなことは思わない』と突っぱねるだろうか。

 

日本文芸社『脳とカラダの不思議』にはこうある。

一般の動物は、育てやすい季節に出産を行えるように発情期というものが脳の中にプログラミングされているが人間の場合はいつでもセックスが可能だ。これは、脳の中の大脳皮質が深く関係している。生殖に関するメカニズムを担っているのは脳幹にある視床下部であるが、人間の場合は大脳皮質の前頭連合野も性行動に深く関係している。もし、視床下部だけに性行動が支配されているとしたら、人はひたすら欲望の赴くままにセックスを求めて、社会的な秩序はあっという間に崩壊してしまう。

 

 

つまり脳科学ではもうこれらの問題を論理的に説明することが出来るのである。

 

友達の奥さんを見て、セックスをしたいと思う。それについて、(浮気してしまったかな)と思って、落ち込む。自分の妻も、それを見て『浮気だ』と言って、落ち込む。あるいは、それを『思っていない』などと言って嘘をつき、気持ちを隠蔽する。しかしパートナーはそれが『嘘だ』と違和感を抱く。実際に『嘘をついている』のだから、それは当たり前だ。

 

しかし、人間はそもそも、誰かれかまわず、セックスをしたいと思う生き物なのだ。そうじゃないなどと、人間崇高主義に浸るのはいいが、人間は結局他の動物同様、地球に生きる一つの動物なのだ。

 

なぜ浮気をするの?

 

と責め立ててしまうのは、もしかしたら論点が間違っているのかもしれない。聖書でも『愛は罪を覆う』と言っている様に、ここでいう『愛』は『理性(前頭連合野)』だ。視床下部で他人の妻や夫と『セックスがしたい』と思ってしまった『罪(視床下部)』を、『愛』という名の『理性(前頭連合野)』で抑え込む。それが出来るのが『人間』なのだ。こう考えると、人間はとても立派だ。やっぱりそこいらの動物とは違って、理性的ではないか。

 

それなら地球のリーダーと名乗り出るのにふさわしい。つまるところ、人間の『愛』こそが、地球の運命を握るカギになるのだ。その反対に、『罪』に自分の身を任せてしまったら最後、人間に秩序は無くなり、それはイコール混沌。あっという間に地球の破滅がやってくるだろう。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

聖書

ペトロの第一の手紙 第4章。

関連する『黄金律

『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』

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