偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『彼らの非道は私の骨の髄まで痛めつけた。だが、私は自分の怒りに立ち向かい、高貴な理性の味方になろう。復讐よりは、許しの徳こそが気高い行為なのだ。』
復讐、仇討に関しては、この記事に書いた。かつて、それが法律で許されていた時代があったのだ。不倫相手も、斬り殺していいという時代があった。
しかし『法律』は変わった。今、刀を持ち歩き、人の首を手土産にし、不倫相手を斬り殺したり、仇討をしたら、異常者扱いされてトップニュースとなり、列島を震撼させ、刑務所から出られなくなるだろう。『法律』は変わったのだ。それに伴って、『常識』も変わった。蔓延し、浸透する常識や、ルール、マナーや道徳の形も変わった。だが、『人間』はどうなったのだろうか。『変わった』のだろうか。進歩しているのだろうか。常として未来人が、優秀かつあるべき姿なのだろうか。あるいは、恒久的に未熟なのだろうか。
一つわかっていることは、シェイクスピアの言う通りだということだ。そして、だが、それがわかっていても、じっとしていられない時が人間にはあるということだ。この話にはジレンマがあるのだ。目の前で最愛の人が殺されたことを想像するといい。そして犯人が全く反省をしないで、ケタケタ笑って、次の人を殺しに行く。銃を乱射して自殺する人間の話は、現代人にとってはそう珍しくはないはずだ。
既に、最愛の人は死んだ。犯人は、次の人を殺しに行く。その時、(いいんだ。君を許そう。)と言って、ニコニコしている自分。(さあ、おゆきなさい。)と言って、次の殺人の傍観者となる自分。お前、『人間』じゃねえぞ?
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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