ソクラテスの言葉(弁明)
Socrates.
コンテンツ
ソクラテス Socrates
古代ギリシャの哲学者。ソクラテスの代名詞は『無知の知』。この言葉自体をソクラテスが言ったわけではないが、この言葉の意味は、『無知であることを知っていることの方が、全知全能だと思っている人間よりも少しだけ知的だ』ということ。
ソクラテスは人々にこの『無知の知』を思い知らせる為に、日々アテネの町で問答(論争)を繰り返した。だが、それで人々の反感を買うことになったソクラテスは、アニュトス、メレトス、リュコンという人物に嵌められて、裁判にかけられた。
しかしソクラテスは、幼馴染のクリトンに脱獄を勧められても断り、逃げることなく、死刑を受け入れた。彼曰く、
『これまでの生涯で一貫して私が説いてきた原則を、不幸が訪れたからと言って放棄することはできない。』(『クリトン』46)
ソクラテスは最後にこう言った。
『お別れのときが来た。君たちは生きながらえるため、私は死ぬために別れるのだ。君たちと私のどちらがより幸福なのだろうか?答えることが出来るのは神のみである。』(『弁明』42A)
そして毒の入った杯(毒ニンジン)を飲み、自分の信念を貫いて、一生を終えた。
生い立ち
紀元前469年頃、アテネで生まれ、紀元前399年4月27日に亡くなったとされている。父はソプロニコスという彫刻家で、母はパイナレテという産婆である。彫刻家の家に生まれ、自然学を学ぶが、人間の魂の研究に転じる。妻は『悪妻』と言われたクサンティッペであるが、これら家族の本当の実態はわかっていない。
[ソクラテスとクサンティッペ]
ソクラテスは、人は無知であることを知り、真の知恵を求めなければならない、と説く。自己の信念に忠実なあまり告訴され、信念を曲げなかったため、刑死する。70歳没。
参考文献『四人の教師』
ソクラテスはアテネが生んだ、最初で最高の哲学者である。
極めて傾聴に値する教え
『無知であることを知っていることの方が、全知全能だと思っている人間よりも少しだけ知的だ』ということ。
道徳的でない行いをしているとき、実は内心傷ついている。これは本人にとって不幸である。人は本来、道徳的な生き物であり、道徳的な行いをしているときが最も幸福である。もし心の平安が訪れないのなら、その理由は徳が何かを知らないからだとソクラテスは考えた。
何が善で何が悪かを学び、正しい徳の知識を身につけ、それを実行すれば幸福になれるとソクラテスは説く。ソクラテスにとって知識(知恵)と徳は同じものだった。
参考文献『PRESIDENT』
ソクラテスの教えや罪・悪としたもの
ソクラテスの前にはタレスがいたが、ソクラテス以前は人間についての哲学はなかった。ソクラテスの登場とともに、倫理と道徳の声が高まり、人間社会に新たな秩序と価値を求めるようになる。この紀元前600~400年頃の時代、世界に目を向けるとこのような傾向があった。
彼らが倫理と道徳の尺度を設けたのは同時代だった。この理由は、世界的に農耕社会が定着し、古代国家時代に移る過程で、より強力な精神体系を必要とした人間の動きが関係している。
ソクラテスは、『社会とは道徳と倫理の秩序なしには存在しない』という考え方のもと、国家の理想を一個人の幸福よりも重要だと考えて、国家の定めた『法』を何よりも重視した。
『悪法もまた、法なり。』
と言い、法に逆らわず毒杯を飲んだことの理由には、こうした背景も手伝っていると考えられている。
参考文献『世界の哲学―ギリシャ哲学からポストモダンまで』
この『法を何よりも優先する』考え方は、ソクラテスの200歳年下である、中国の韓非子の考え方と似ている。韓非子は、孔子の『徳を積んで仁を得れば、法律など必要ない』という考えを否定した。
人間は、『利己』に走り、損をすることを回避しようとする。それが人間の本性というものである。従って、法律によって刑罰を整えれば、人はそれを回避しようとして、犯罪を予防できる。法さえ完備していれば、国の秩序は保たれるとして、法の重要性を説いたのだ。
この韓非子の考え方は、『社会とは道徳と倫理の秩序なしには存在しない』と考えたソクラテスの考え方と似ている。ソクラテスは、『国家の利益よりも個人の利益を優先する人』を批判し、『国家なくして個人はない』とし、『その国家が定めた法こそが全てだ』と主張した。
物事の本質を知らない、つまり『無知』であることは、まるで不発弾を抱えて歩くようなものである。いつ暴発するかわからない。それについての責任を取れないのなら、なぜ『無知』のままでいたのか。
無知を自覚させるための手段
ソクラテスは無知を装った質問で、相手に無知を自覚させるという『問答法』という手法で、真の知識を探ろうとさせた。
『本当にその答えが正しいものだと、どうして確信できるのですか?』
などと言って質問攻めにするため、相手が自分の無知を自覚することになる。だが、中には感情を逆なでされたと腹を立て、怒り狂う者もいた。ソクラテスが冤罪を着せられたのも、この『問答法』が一つの原因となった。
主な弟子、あるいは意志を受け継いだ者
[レオナルド・ダヴィンチ自画像をモデルとしたプラトン]
プラトンの弟子が、アリストテレスである。また、同じくソクラテスの弟子であるアンティステネスの弟子の『樽のディオゲネス』は、かのアレクサンドロス三世に『私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい』と言わせたという。もっとも、ソクラテス自身は、弟子を取っているという意識はなかったようだ。
犬儒学派
エピクロス派
ストア派
ちなみにストア派の全盛期にキリスト教が登場している。従って、キリスト教とストア学派には共通点が多い。
強く影響を受けた偉人
正当な書物や、変化(歪曲)した教え
ソクラテスはキリスト教、仏教と比べると、宗教の始祖ではない。ソクラテスは確かに人間の理(ことわり)のみに立脚して知を愛して極めよう、対話者を真理に導こうと決意して行動したが、神話や宗教を忌み嫌う純粋な合理主義者、宗教の敵という見解は間違った解釈である。少し紐解けばすぐに『デルポイの神託』というキーワードにぶち当たるだろう。
しかし後世に広まったイメージはどうだろうか。近代人によるソクラテスの『非宗教化』には、後年の仏教徒によるブッダの神格化と同じく、問題があるのではないだろうか。
参考文献『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』
ソクラテスに関する豆知識
日本の名クリエーターであるスタジオジブリの宮崎駿は、ソクラテスに造詣が深い哲学者である一面を持っている。名作『紅の豚』は、当時の東大総長が言った、
『肥えたブタではなく、痩せたソクラテスになれ。』
という言葉に感銘を受けた宮崎が、自分を自虐的に『無知なブタ』であると表現し、ソクラテスの様な知者に一歩でも近づくべく思いが影響しているのだという。自分をブタと表現するところが重要である。無意識に肥えたブタのように傲慢不遜に陥っているはずだと、謙遜しているのだ。
また、当時のギリシャでは、既婚男性が妻以外の女性と関係を持つことに何の制約もなかった。すべての男性は子供を持つことを目的に結婚していたのであり、並行して別の家庭を持つことは社会的に許容されていたばかりか、推奨されてもいた。だが、ソクラテスはクサンティッペ以外の妻を持つことはなかったとされている。
ただし、弟子たちの話から判断すると、ソクラテスが女性たちと親しくなることは稀で、多くのアテナイ市民と同様に若い男性と付き合うほうを好んだ。プラトンによると、『ソクラテスは美青年たちに惹かれて親交を求め、彼らに心をかき乱された』(饗宴216D)
ソクラテスが青年を愛していたことは間違いない。しかし、ソクラテスが青年を愛するあまり肉体関係にまで及んでいた、との記述はどこを探しても見つからない。肉体というより魂の交わりを求めていたという。
参考文献『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』
ソクラテスと私の関係性
私が初めてソクラテスの知性と触れたのは、17歳の頃だった。しかし、最初はそれがソクラテスの知性だとは知る由もなかった。当時私は人生を真剣に模索していて、数えきれない葛藤をしていた。
ある日、多くを語らない恩師との文通的なやり取りで、『無知の知。知ってるか?』と言われたのだ。今よりもうんと無知だった私は、その言葉の意味など露知らずに、こう考えるのがやっとだった。
(無知?これは悪口か?いや、でもなんで急に悪口を言われたのか…。無知の考えることなど意味がないから、書く言葉もない、そう言われたのだろうか。)
その言葉の意味を知ったのは、それから数年後。恩師の事を、『彼らは恩師だった』と呼ぶようになってからの事だった。恩師は、『お前が自分の無知に悩み苦しんでいるのは、知性から目を逸らさないからだ。無知な人は自分の無知にすら気づけない。』と、言葉少なに応援してくれていたのだ。このシーンを通して得た感動や知性はあまりにも大きかった。
当サイト最重要記事
『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』
関連する言葉・超訳集
ソクラテスの言葉(弁明)
カテゴリー:『真理』
ソクラテスは幼馴染のクリトンからの脱獄の誘いを断った。自らの信念に従って、死と向き合うことを決めていたからだ。『痛い足かせとお別れ』というのは、そのとき、牢獄で実際にソクラテスの足に繋がれていた、その足枷のことを指し示しているのだろうか。
シェア
偉人の名前や名言を検索
おすすめ関連記事